例の新羅埼の辺りは完全に山が湖に沈むような土地で、道路も狭くなってます。昔は一周する道路は無かった、という話も聞いたので、おそらくこの辺りは戦後に造られた新しい道だと思われます。 そこにあった時代を感じる石の宗教遺物。ちょうど新羅神社跡の真下あたり。 古神道の石信仰(岩倉)の名残で相当に古いものだと思うのですが(少なくとも奈良時代)、現地の解説によると別の伝説があるそうな。このため蛇の目玉石と呼ばれてるのだとか。お話の要約が右の石碑にあるのですが、竜神伝説の一種ながらかなり特殊で興味深いモノ。ただし特殊過ぎて引用が面倒なので興味のある人は「菊石姫伝説」で検索して見てください。 個人的にはそこまでこじつけず、単純に新羅神社の遺構の一つでいいじゃんと思いますが。ご神体でしょう、どう見ても。普通に考えれば背後の新羅神社のある山をご神体にしてるはずですが、もし湖をご神体にしてるなら、極めて珍しいものとなります。どっちかは私には判りませぬが。…竜神信仰で湖をご神体にするってあるのかな。 その先が余呉の郷。古い集落らしい細い道が続きます。この辺りでほぼ余呉湖一周が終了です。古い道だからか、この一帯だけは湖岸を走っておらず、水面は見えませぬ。 さて、ようやく賤ケ岳の合戦を振り返る旅は終了、撤収に入ります。ホントはここから北が柴田軍が展開した土地なのですが、戦場にはなってないし、時間も無いしでここまでとしましょう。 ちょうどお昼時。気が付いてる皆さんも多いかと思われますが、この日は朝から何も食べてません。そして本日最初の食事はここでした。 …いいのよ、好きなんだから。 すでに午後一時前、予定より二時間遅いのです(笑)。恐るべし賤ケ岳。とりあえず、以後の予定から小谷城周辺を外して、次は国友の鉄砲村に向かいませう…とか考えつつ、旅行中だけ開く旅ブログをここで更新。が、七月の札幌以来となるマックのWifi利用だったのでパスワードが思い出せず要らぬ苦戦をする。 という感じで今回はここまで。オマケ編はお休みです。次回は…脱線、そして決戦だ。 |