さて、ではいよいよ最後の目的地、比叡山の上にある延暦寺に向かいます。天台宗の総本山であり、平安仏教を代表する秀才、最澄が開いたお寺がこの延暦寺です。
この延暦寺は京都北部と琵琶湖の間に広がる山地の一つ、一帯では最も高い山である比叡山一帯に展開する巨大な仏教施設となっています。通常のお寺と違って塀に囲まれた伽藍の中に本堂や五重塔が建ってる、という構造ではなく複数の地区に分散して建てられている、という異常な施設でもありにけり。大きく分けると東塔、西塔、横川、無道寺谷の四か所となるようです。
既に午後二時半近くから全部回るのは当然不可能で、今回はケーブルカーの駅に近く、事実上の本堂である根本中堂がある東塔だけを見て撤退としました。上の地図で見れば判るように、横川とかは完全に別施設ですからね。
とにかく政治的な宗教施設だったのがこの延暦寺でした。まあ奈良仏教も日蓮も本願寺勢力もどれも政治的なのですが、その立地を活かして京都の朝廷と縁が深く、特に歴史上何度もその名が登場するのが延暦寺でしょう。このため長年、京都側が中心地なんだろうと思っていたのですが、開祖である最澄の出身地である琵琶湖側に主要な施設が集中している、という事を今回の訪問で初めて知りました。
ちなみに信長が比叡山を焼き討ちしたのは事実ですが、信長公記を見る限りでは東塔の根本中堂周辺以外の名は出て来ません。実際、延暦寺は室町時代に南北朝闘争に深入りし、15世紀(1435〜1499)に何度も焼かれてますから、そっちの方が被害は大きかったと思います。そもそも1571(元亀二)年の信長の焼き討ち段階ではそれほどの施設は残って居なかったはずで、信長によって延暦寺のほとんどが灰燼に帰した、とするのは無理があるでしょう。
とりあえず現存する施設のほとんどはこれまた秀吉時代以降のもの。それでも国宝、重文がいくつかある一帯になっていますが、数の上ではおそらく日吉大社の方が多いです。というか、そもそも現在見れる延暦寺は昭和以降に大きく変わってしまったものと考えた方がいいでしょう。
ケーブルカーの頂上駅。これもいい雰囲気でした。この色はどうかしら、と思わなくも無いですが…。
その横に展望台があり。
先ほど奥宮で見たのと同じ方向を眺める事が出来ました。ざっと400m近くこちらの方が高度があるので、より視界が開けた感じです。
|