さて、では日吉大社の東本宮に向かいます。最初に述べたように建立はこちらの方が古いのですが、規模はやや小さく、現状、本宮といえば西本宮という形になっています。
こちらの手水。一部プラスチックなのが残念。ちなみに西も東もなんか取ってつけたような手水桶になっていたのはコロナ対策?
こちらが東本宮の門。
西本宮の門と同じような形状ですが、探して見た限り、こちらの屋根の下に猿は居ないようです。ちなみに重要文化財。東本宮は一帯は1596(文禄5)年の再建とされ、西本宮に比べると10年近く後からの再建となります。ちなみに門だけは本殿と拝殿より丸1年遅い建築となるんですが、なんでそんな時間差建立になったのかは不明。
こちらは一つの境内に東本宮と樹下(じゅげ)宮の二つの宮が入ってるのですが、両者の参拝の線が60度前後の角度で十字に交差する、という妙なものになっています。どちらも1595(文禄4)年の建立なので、最初からういった構造になっていたようです。理由は不明。
まず手前に見えている建物が樹下社の本殿(左)と拝殿(右)で、ほぼ東向きの神社となっています。対して奥見えてる本宮は他の宮と同じくほぼ南を向いており、写真で見えているのが拝殿で、あの奥に本殿があります。すなわち両社の参拝道は完全に十字交差してるのです。さらにこの本宮は門から直線で結ばれた先になく、微妙に左にずれてます。
こんな構造の神社、初めて見ました。土地が無かったのか、何か深い意味があるのか…
ちなみに両宮は本来、日吉大社の最古の神域、後で登る奥宮にある二つの神社の麓出張所として造られたものでした。後で見るように奥宮は参拝するだけで重力との死闘になりますからね…。ただし平安時代以降、さまざまな祭神が入り乱れて、その辺りは曖昧になってたのですが、明治政府の神仏分離政策によって、現状は最初の状態に戻っています。
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