とりあえず、広大と言っていい一帯をウロウロする。ちなみにこの北側に国宝である新羅善神堂があったのですが、全く気が付かず通過してしまいました…。新羅の名からして、この一帯も渡来人と縁が深そうですが、三井寺側はそういった意味ではない、と主張してます。この点、いろいろ思うところはありますが、今回は触れず。 いい感じの建物が並びます。天気のいい秋の日に歩くのは最高ですね。 その先で三重塔が見える。となるとここが秀吉の廃寺令が撤廃された後、最初に復興されたとされる唐院でしょう。事実上の寺の開祖円珍の墓所、その名も智証大師御廟が置かれた場所です。寺院内の聖地とも言うべき一帯でしょう。一部は見学は可能らしいので早速行って見ますか。 奥に白塀だけが見えてるのがその墓所ですが、近づく事はできませんでした。手前にある建物は右が潅頂堂、左が長日護摩堂。 どちらも再建が許可された豊臣時代末期の建物です。手前の潅頂堂は構造からして、京都の貴族住宅、あるいは内裏からの移築のような気もしますが、確証は無し。この潅頂堂は事実上の拝殿になっており、神仏混合のまま明治という時代を乗り切った貴重な例かもしれません。まあ、高野山も似たような構造を持ちますけどね。 ちなみにどちらも国の重要文化財。 その横にあるのが三重塔。これも重文で、豊臣時代の末期、慶長六(1601)年に徳川家康が寄進した、とされる建物ですが、新築ではなく、例によって移築です。復興を急いだんでしょうね。ちなみに元は秀吉時代の伏見城にあったとされ、これを家康が勝手に移築してしまったのは、いかにも関ケ原合戦の翌年の出来事らしいですな。ただしさらに以前には奈良の吉野にあった建物、という話もありにけり。西洋釘が無い時代の移築はやりたい放題なのです。 |