三井寺南別所なる石柱を発見。となるとこの辺りに南側の入り口がありそうですが…。

ちなみにこちら側に書かれてる文字は劣化とそもそも崩しが強くて全く読めず。ついでに別所というのは聖(ひじり)、正規の僧侶とはちょっと異なり全国を回って所属する寺院への信者を増やしてる回る旅の僧の居住区を指す言葉でした。当時としては珍しい地方回りの営業職ですが、この時代の旅はある意味で命懸けでした。このため色々怪しい人物も多く、寺院に属しながらも、その居住区は離れた場所に置かれる事が多かったようです。

高野山と比叡山の聖が有名ですが、三井寺にも居たのですね。余談ながらタタラ製鉄文化では別の意味を持ち、近江周辺の場合、そっちの可能性もありますが確認できず。ただし普通に考えて、ここは三井寺の別所と見ていいでしょう。



そのすぐ奥に立派な神社がある。案内を見ると三井寺の鎮守社で、本来は山内にあったのが麓に移築され、さらに明治のお馬鹿さん政策、神仏分離によって寺から独立した神社なのだとか。ただし建築物はほぼ明治以降のもので、一時は廃れていた可能性あり。



キチンと拝殿がある神社でした。奥にある本殿は周囲の廻廊を回れるだけで直接、拝観はできません。

ちなみに正方形の拝殿というのは珍しいな、と思ったら、この後、日吉大社でも見かける事に。この一帯では普通の形式のようです。というか、これ本来なら日吉大社の分社だったんじゃないかと。三井寺が比叡山と犬猿の仲になった結果、神様を入れ替えたのでは?



でもってその横にひっそりと三井寺の南拝観受付所がありました。ほとんどまともな案内も無く、これは判りづらいでござる、と思ったんですが目の前に既に一人、拝観受付中の、しかもかなり本格的な感じの人が。拝観開始時間とほぼ同時にやって来たのですが、上には上が居ると知る。

拝観料は600円でした。中にある文化財収蔵庫を見る場合は現地で入場料払ってね、との事。ついでに初めてですか、と聞かれて左様でござる、と答えると丁寧に一番効率のいい回り方を教えてくれました。感謝。



そして拝観開始。…また重力との戦いか。ただしこれは序の口で、この後の死闘に比べれば屁のカッパレベルだったのです。

と言った感じで今回はここまで。オマケ編は一回お休みです。

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