大手通り跡と思われる道の先に入場券売り場がありました。ちなみに入場料は大人700円。当然、この周辺もかつては水の底で、この辺りにちょうど大手門の乗った土塁があったはず。



例の古地図で見るとこんな感じ。

左側の矢印の方向から歩いて来て、右側の矢印の位置にある大手門の所まで来たわけです。
南側の下街道から北上して来た大手通りが土塁の上にある大手門を通過して城内に入ります。ちなみにこれで見ると大手門は細い土塁の上にある事になってますが、1989年から2009年ごろまでの約20年に渡る長期発掘調査によると、当時はもう少し南まで陸地が続いており、そこまで細い土塁の上に門が在ったわけでは無い、とされています。



そこにあった案内板。石段405段、往復約1時間との事。ちなみに途中で石段が無くなり、だだの山道になる部分もあるので、それで済むと思うなよ、というのが現実です。天守閣跡地は標高約195mの高さがありますが、何度も述べてるように琵琶湖も標高で84mあるため、約110mほどの標高差ですね。まあ、例によって高層ビルなみの高さですが。

ついでに言えば、この日の午前中に登った彦根城の天守閣は標高約130m、実質、45m前後の高さでしたから、軽く倍です。フフフ、当たり前の幸せなんて…俺には…不要さ…。さらについでに言えば、この翌日はこんなもんじゃない地獄が待ってるのです、はい。



入り口から見上げた大手通り。これを登るんですよ。そして登り終わってもまだゴールじゃないんですよ。この一帯、かつては荒れ放題でしたが、先に述べた発掘調査後に整備され、かなり見学しやすい城跡の一つになりました。
とりあえず、大手門を突破すると、何の障害も無く、城の心臓部までまっしぐらな構造なのに注意してください。高台なので上から鉄砲でなぎ倒す、は可能ですが、それでもここまで敵まっしぐらな構造は初めて見ました。信長が最初に自分で設計した小牧山城も似たような構造だったと推定されてますから、好きなんでしょうね、こういうのが。



その石段の左右には水路と思われる溝があります。これは先に見たお堀周辺の建物にもあり、城内を水が流れる、という妙にオシャレ度が高いお城だったように思われます。でもこの上、山の頂上付近に、それほどの水源があるんだろうか、という疑問は残りますが…



ついでに石垣や階段を造るために色んな石を各地から持ってきちゃった中にまぎれていたらしい、石仏。何体か確認されてるようです。古い城砦ではよく見られますが、神も仏もオレ以下、という信長の城ですから、その辺り、特に積極的に持って来た可能性もあります。

という感じで、今回の本編はここまで。

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