さて、今回は内堀の外側に造られた庭園地帯を見てゆきます。 玄宮楽々園、あるいは玄宮園と楽々園の二つに分けて表記されてたりと、どうもよく判らんぬ施設でしたが、そもそもは藩主の下屋敷、本丸の外にある屋敷で側室や庶子(正室以外の女性の子供)などが生活した場所かと思われます。その屋敷跡が楽々園、庭園部を後に大々的に整備したのが玄宮園、という事らしいです。この辺り、妙にややこしい部分です。ついでに楽々園というスーパー銭湯か焼肉屋みないな命名、当時から誰も止めなかったんですかね。 とりあえず楽々園の方から見て見ます。 玄関の軒先が異常なまでに立派な割には建物がショボい、謎の建築物が最初に現れます。本来ならお屋敷の玄関だったのを、お屋敷本体を解体してこの部分だけ保存してるのかな、と思ったのですが、帰宅後に確認したら、この角度からでは見えない場所に屋敷本体があると知る。いくらなんでも変な構造なので、おそらく後世に移築してるでしょう、これ。 玄関には入れるのですが、中には入れませぬ。随分とキレイだな、と思ったら最近、修復工事が終わったばかりだったようです。 玄関棟の奥に庭園部分への入り口があるみたいですね。 中にある屋敷部分は、11代藩主 直中が隠居に当たって1814(文化11)年ごろに建てた豪邸の一部です(桜田門外の変で暗殺される井伊直弼の実父。ただし直弼は庶子だった。お家のゴタゴタの結果、直中の三男、直亮が12代藩主になった後、その養子となって井伊家の相続権を得た)。 屋敷のほとんどが取り壊され、庭園になってしまってますが、往時には一帯は直中が建てた豪邸が所狭しと並んでたそうな。どの藩も、なかでも徳川の親藩は貧乏で悩んでいた幕末手前の時期に、どこにそんな金があったのか、を調べると面白そうですが、正直、そこまでの興味はなく… |