常盤橋から外堀跡を見る。長年に渡って土が積もってしまった、というのもあるのでしょうが、やはり浅いし、幅も狭い。関ケ原直後の時代の築城ながら、本気でここで戦争やる気だったとは思い難いものがあります。 中は意外に広く、かなり奥まった位置に拝殿がありました。1943(昭和18)年、戦争中の建立だとか。彦根も空襲を受けたものの、本格的な夜間爆撃などは無く、市内中心部はほとんどが焼け残っています。 そこからお城に向かいます。昨日は夜で気が付かなかったのですが、途中、立派な松並木があり。いろは松というそうな。 その横が中堀。中堀は一定の幅があり、それなりの防御力はありそうですが…。 そこからも天守閣が見える。やはり結構な高台に建ってます。手前は昨日、井伊式バットシグナルが投影されていた重要文化財の多聞櫓。その上にある構造物は恐らく天守閣への入り口である天秤櫓。絵になるなあ、このお城。 |