さて、るーぷるバスで青葉城(仙台城)の山上部分、本丸跡までやってきました。

でもっていきなり巨大な鳥居があって驚く。あ、これ宮城の護国神社か。招魂社の跡を継いだ、靖国神社系の軍人さんを祭神とする神社であり、日本各地の軍駐屯地跡に多く見られるもの。仙台城は陸軍第二師団の駐屯地でしたから、その縁でしょう。が、ここまで史跡の跡地に堂々と現存するのは初めて見ました。陸軍の国有地だった史跡の跡地を特定の宗教団体が占拠してるわけで、すげえな仙台城と思う(国有地なのだ。県や市のレベルの話では無いのに注意が要る)。

大戦前に日本各地に造られ、多くが現存する護国神社(元々は招魂社だったのを昭和になって改名)ですが、東京都(市)には靖国神社があるので置かれず(区単位ではあったが)、神奈川県のは大戦中に空襲で焼かれて再建されなかったので、これもありません。よって首都圏の人間はあまり知らない場合が多いのですが、大抵の道府県庁所在地では、市内の一等地に建っている事が多いです。

ちなみに私の出身地、千葉市にもあるんですが、競輪場の横(第一鉄道連隊の敷地跡)という微妙な立地のため、千葉を出る直前に発見するまで、その存在に気が付きませんでした…



そこから階段を登った先が本丸跡です。ちなみに最高地点では標高130mを超えるそうで、やはり完全に山城ですね。



階段を登り切ったらこうのような光景が。よく写真で見る政宗さんの銅像があるのがここだったのか、と初めて知る。
札幌ではクラークさんの銅像を見損ねたので、ちょっとホッとする(笑)。



手前の広場は本丸跡の大広間を発掘調査した跡らしいです。



現地の地図で。現在地がこの本丸跡で、下に見えてる仙台市博物館が三の丸跡、そこから道を挟んで右手に二の丸があったはず。

なんで本丸がこんなに離れているの、というと二の丸と三の丸は平地にある平城で、本丸だけが標高130m近い山の上にある山城だったから。これ、往年の姿はさぞや壮観だったろうな、という大規模なもので、よくぞ徳川家がこの建設を許したもんだと思います(1601年築城だからギリギリ幕府が開かれる前だが、関ヶ原の後だから家康に許可を得たらしい)。これ、かなり本気で戦争やる気の構造ですよ。安土城時代の設計思想の立地でございましょう(ちなみに安土城は標高ほぼ200mであり、平地から信長のいる場所まで登るのはほぼ登山である)。

ちなみに地図に見えてる御裏林が、例の人を入れなかった禁制地であり、現東北大学植物園となっている山林です。

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