昨日見て、結構いい感じだった瑞鳳殿前のバス停で降りる。同じバスで意外に多くの人が降りたのですが、それ以外にはまだ誰もいない。



天気も良く、瑞鳳殿に至る道もいい感じでございます。これは来てよかったかもと思う。
ちなみに伊達家の墓所の割には周囲の木が若いな、と思ったんですが戦災に加えて、戦後は木材が伐採されまくって一帯はハゲ山だったそうで、それを考えるとよく再生したな、という所でしょう。木の高さからして、60年前後でここまで再生したと見ていいようです。

 
その参道の途中にあったこのお寺、瑞鳳寺は伊達家の菩提寺だとか。

明治期の廃仏毀釈で一度、廃寺となり、1926年、大正15年に再建されたものらしいです。位置的にはここも戦災で焼けていて不思議はないのですが、雰囲気と建築様式からして、多くの建物は大正期のままだと思われますが、詳細は不明。まあ戦災時にも築20年ぐらいだったわけで、そこから80年近く経ってしまった今となってはもはや判別は困難です。



その先が瑞鳳殿の入り口です。

まずは現地の案内図から。
この一帯、経ヶ峯と呼ばれる丘陵地は、ヘアピンカーブのように蛇行する広瀬川を挟んで城のある青葉山と向かい合う土地となっています。図には描かれてませんが、このすぐ北、図の右側は断崖で、その下に広瀬川が流れてるのです。そして、うっそうとした森の中に見えますが、実はこのすぐ裏には住宅街が迫っており、なるほど大都会だと思うところ。逆にこれほどの都市の中にこれだけの緑がある事に驚きました。

この地に政宗公の墓所である瑞鳳殿が最初に造られ、以後、伊達家の墓所とされた一帯で、左手に見えてるのが瑞鳳殿、その右手にある善応殿、感仙殿の周辺が以後の伊達藩主の墓所です。ただしこれらは全て、戦災、仙台空襲で焼け落ちてしまっています。よって現在の建物は全て復元建築なんですが、なかなか見事なモノでした。



うーむ、いい感じです。 ちなみにこちらは出口で、順路としては左手の別の階段から瑞鳳殿に向かいます。

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