とりあえず、今回のオマケ編では、松島で連呼されていた日本三景についてだ。

「さいですか」



とにかく現地では、松島は日本三景です、日本三景なのよ、日本三景バンザイ、日本三景に敵無し、的な看板やら何やらがやたらと目についたのだ。

「こんな感じに?」

こんな感じに。自分に自信がない人間が、むやみに家柄や先祖の功績を連呼して己の価値を高めようとしてるようで、見ていてあまり美しいものでは無かったのよ。

「そうなの?」

こんなのまであったしな。



日本三景の碑だそうだ。

日本三景の由来である、林鵞峰の漢文を刻んでる…つもりらしいが、引用が極めて適当で、本来ある文章の半分以上を省略した上に、なんでそこで文章を改行するの、という変な字面になっている。ちなみにバッサリと切り捨てた部分がまさに松島の解説部であり、この人たちは何を考えているのだろう、と理解に苦しむ碑だ。さらに言えば陸奥松島なんて記述、原文に存在しないぞ。どこから持って来たんだ、これ。

ちなみに碑の中に春斎とあるのは、林鵞峰の号、ペンネームの方の表記だ。この人、儒学者と説明される事が多いけど、幕府に登用され、かなり深く政治にも関わっていた人だった。江戸初期にまとめられた日本通史、「本朝通鑑」の主要な編者の一人でもある。

「さいですか」

この林鵞峰の「日本国事跡考」に書かれた陸奥国の解説文章をもって日本三景の由来とする説明が多いんだけど、そもそも日本三景なんて言葉は、その本の中のどこにも出てこないんだよ。
松島には他にも小島があり、庭園の池の中の島のようで、月夜の景観は特にすばらしい。これは天橋立、厳島と併せまれにみる三つの景観地となっている、と書かれてるだけだ。これを日本三景と名づけて、日本を代表する見事な景観だ、と言い出したのは後世の人間なのさ。そもそもは陸奥の国の紹介文であり、陸奥国には松島という奇観がある、これは天橋立、厳島神社と並ぶ三大奇観を成す、という説明なんだよ、この文章は。

「へー」

さらに言えば、林鵞峰は京都出身で、成人後、江戸に出てた人だから天橋立は見ていた可能性があるが、残りの二つは見て無いと思われる。そもそも松島に関しても、松島という島と他にいくつかの小島がある、という感じに何を言ってるんだこの人、みたいな説明だしね。よって、これまた「まだ見ぬ宮城野へのあこがれ」の一つの可能性が高い。
そもそもこの「日本国事跡考」は、日本の歴代天皇の解説から始まって、各時代の著名人を紹介し、その後、律令制時代の国区分ごとの紹介に至る、日本の歴史&地理概説みたいな本であって、名所案内でもなければ、本人が見てきた旅行記でもないしな。

「あれま」



さらにはこんな表示も。

「なんで7月21日?」

林鵞峰の誕生日(太陽暦換算)だからだそうだ。

「それは林鵞峰の日では?」

本人の功績からすると、本朝通鑑の日でもいい気がするね。とにかく、このように我々は日本三景の一員なんだよ、凄いんだよ、ビビれよお前ら、という表示が多くて、正直、かなりゲンナリしたのだよ。それでいて、日本三景が本来、現地を見てないと思われる人間が言い出したことだ、という考察などは一切ないのさ。

「さいですか」



が、さすがに日本三景だけでは生きて行けぬ、と判断したのか、こんな展開も。

「最近多いね、こういう感じの。で、誰?」

さっぱり判らない。どこにも名前が書いてないし。…と思ったら、今、右上に小さく松島名月、とあるのを今、発見した。

「で、誰?」

さっぱり判らない。という感じで、今回はここまでだ。

「キャンペーンレディって何?」

さっぱり判らない。
直訳すると社会活動淑女だから、何か政治的な目的で活動する高貴な女性であろう。まあ、和製英語だから、意味は無いに等しいんだろうが、campaign の後に一般名詞を続けるという英文がありえるか、ぐらいは考えてもいい気がするね。取りようによっては、淑女上で行われる活動、という変な意味にも取れるからなあ。

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