その横の建物にあった張り紙。震災の津波でここまで浸水した、とあり、確かにこの位置から下の板の色が変わっているのが見て取れます。となりの軽自動車の屋根と比べると人なんか完全に飲まれてしまう波であった事が判りますね。



その先の案内板。…さっきの場所でこの先200mになってたはずですが…。そして、これも一度水没したっぽいな、と思う。



島入り口、とある階段をあると、いかにも人力で切り開きました、という槌とノミの跡らしきものが一面に残る切り通しの道が。江戸期辺りから続くものなのかもしれません。



その先には壁面に穴を掘って石塔を収めた祠が多数あり。
雄島の中にもいくつかあり、宗教的な土地だったのだ、という事を感じさせます。植生のすぐ下は岩盤なのも見て取れますが、こんだけ簡単に掘れちゃうって事はそれほど固くなく、よって松の大木が根をはれて育つんでしょうね。逆に言えばそんな土壌で大木になるのは松が主だろうから、なるほど松島になるよな、と思う。ちなみに帰宅後に確認したら、やはり一帯は凝灰石、砂岩が主だそうな。



その先に見えてる、あの橋で繋がった島が雄島。ちなみに芭蕉もこの地に来ており、彼によれば砂州によって海岸と地続きだったとされますが、現在はあの赤い橋を渡って上陸するようです。

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