大谷石の地元だからかこんなものも。薪のオーブンですかね。ストーブも兼ねてる? 大谷石の建物はなかなか素敵で、この古い倉庫はカフェに改装されてるようでした。いいねえ。明治村で見たライトの旧帝国ホテルといい、大谷石は独特の味がありますね。 宇都宮城跡に出る。といってもホントに何もないし、復元建築は写真で見えてる微妙な部分だけだし、堀は水が抜かれてちゃってるしで、速攻で撤収。 ちなみに宇都宮城が歴史の舞台として脚光を浴びた事件としては秀吉の宇都宮仕置があります。 小田原の北条を滅ぼした後に秀吉はそのまま関東平野を北上、宇都宮に長期に渡り滞在し、関東から北の大名の配置を決めたり、周辺を見て回ったりしたものです。徳川家康がその地元である三河から関東の江戸に移される決定が成されたのもこの時でしょう。ただし秀吉が滞在した宇都宮城が今の場所と同じものだったかは判りませぬ。 でもってその家康は後に関ヶ原の合戦の直前に上杉討伐のために北関東に入ったのですが、本人は小山に留まり、嫡男の秀忠が宇都宮城に入ってました(ただし家康が小山に入ったのは慶長年中卜斎記などから定説となっているが、三河物語では古河に居たことになってるのに、注意する必要はあるだろう)。 さらにその後、家康が没するとその墓所となった日光と東北に向かう街道の分岐点となった宇都宮は幕府にとって重要な地となり、徳川家の譜代が常に城主を務める事になります。このため後に家康の知恵袋で幕府の黒幕筆頭だった本多正純(まさずみ)が、徳川秀忠の時代この城の城主となりました。 家康時代からの側近だった正純の権勢はこの時期には大きくなり過ぎ、さらに性格も良くなかったらしく、秀忠からも疎まれてしまっていたとされます。このため「宇都宮吊り天井事件」として知られる嫌疑を掛けられ(日光参拝のために秀忠が滞在する宇都宮城の部屋が釣り天井になっていて暗殺を謀ったとされる。当然、完全な言いがかり。そんな無意味な工作をしなくても城内でいつでも殺せる)、さらに無断で城の石垣を修復した事などの罪状を一方的に押し付けられ、彼は失脚するのです。 その舞台になった城であり、後の戊辰戦争で灰になってしまった事など、どうもあまり歴史的な良い印象のない城ではあります… といった感じで朝の散歩は終了。 朝食は松屋で定食とします。ここでも朝帰りの水商売らしい一行の人たちが食事中でした。という感じで、今回はここまで。 |