2020年4月7日、コロナウィルスによる非常事態宣言がなされ、以後、都道府県を超えての移動自粛、カラオケ店、飲食店などの営業休止要請、外出の自粛などが求められる事になりました。私もそれに伴い、4月10日から自宅待機に切り替えとなっておりましたが、そろそろ床屋に行く必要があり、自宅待機9日目の4月19日の日曜日に行きつけの床屋がある浅草に向かいました。自宅から自転車で15分ほどの距離です。

これが近所以外へ出かける最初の機会だったのですが、浅草に着いてびっくり、ほとんど人が居ないのです。これ、LX100m2のレンズで望遠側目いっぱいの撮影ですから、奥行きは圧縮されてる、すなわち実際より人が密集してるように見えてるのに、この状態。ちなみに床屋も休業中でした。

写真は雷門から仲見世通り方向を眺めたもの。奥に見えてるのは仁王門(宝蔵門)で、その門の奥にわずかに本殿が見えてます。ここから本殿までは約300mほどあり、通常、仲見世は人で溢れているため、10m先も見るのは困難です。それがこれ。ええええ、日本はどうなっちゃったの、と衝撃を受けたのでした。



雷門をくぐってから、今度はレンズの広角側目いっぱいで撮影。この状態だと実際の人間の視界の広さに近い範囲が見えるのですが(視野の広さの話で画角の話ではないのに注意)、この状態。お店もほとんどお休みです。ちなみに通常なら道幅いっぱいに人が居て、それが奥の仁王門まで続いてます。

浅草は夜と朝に弱い街なので(ただし東京で朝に強い街は今は亡き築地くらいだったが)、早朝や深夜ならこういった光景は珍しくないのですが、日曜日の午前10時半です。…こんな浅草は初めて見ました。

他の繁華街と違い、東京では珍しい純粋な観光地に分類していい街であり、海外渡航は事実上不可能になってたので、観光客の減少からある程度の閑散ぶりは想像してましたが、ここまでとは思わず、強烈な衝撃を受ける。

私はガキの頃から祖母に連れられてこの街に来ていたので、任侠団体の皆さんが入れ墨見せながら歩いてる時代の浅草、一時期完全に衰退して、任侠団体と競馬目当てのおっちゃんとお参りに来たお爺さん&お婆さんしかいない1970年代末期の浅草から知ってる世代ですが、それでもこんな光景は初めてです。衝撃的を通り越して、夢でも見てるんだろうか、と思いました。



そこから仁王門まで歩き、境内を見てさらに驚愕。人、ほぼ居ないじゃん。
ここも常に人だらけの場所であり、この辺りは伽藍の撮影に夢中になってる外人さんで溢れてるのが普通です。本殿前に見えてる壺のような線香立ても、この時間ではここからではまず見えません。

なるほど、ウィルス相手では神も仏もないのだな、と思う(浅草は明治政府のお馬鹿さん政策、神仏分離を華麗に受け流し、境内に浅草寺と浅草神社が仲良く並んでる珍しい大型複合宗教施設。有名な三社祭、なんでお寺にお神輿(神様の乗り物)と思うかもしれないが、あれは浅草神社の方のお祭りなのだ)。



いやはや、こんな浅草を見る日が来ようとは、お釈迦様でもご存じあるめえ、フォッフォッフォ、という感じですな。なんだか日常が音を立てて崩れ去るのを感じました。



本殿の上から伽藍中心部の広場を見る。
横からフルチンのおっさんが走ってきて、いやごめん、実は昨日世界は滅んじゃったの、と言いながら走り去ったら、恐らく信じてしまったと思います…

右下の自転車のお兄さんもこの光景を熱心に撮影しており、そりゃそうだよね、と思う。



あまりに驚いたので、ほとんど観光地化されてない商店街の状況を見たくなり、帰りは少し遠回りして三ノ輪のアーケード街を覗く。都電荒川線の始発駅の横にある商店街ですが、こちらはいつもとそれほど変わらない人出で賑わってました。
まあ、生活必需品は買いに出なきゃなので、地元密着型の商業施設はこんな感じなのか。

…じゃあ、その中間、ターミナル駅周辺の繁華街はどうなんだろう、とふと思ったのは、当然といえば当然でしょう。そんなわけで、都心在住で自転車で移動可能という地の利を生かした旅行記が今回の非常事態宣言したの東京、となります。

ちなみに今回見てまわった地区は凡そでこのような感じです。


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