さて、本日午後からは台北の東約35q、基隆(キールン)市の山の中にある九份(チウフェン)老街に向います。老街というのは主に国民党が来る以前、戦前に造られた台湾の古い街並みを指しますが、たまに日本統治前にまで時代が遡るものもあるようです。
余談ですが、Wikipedia日本語版における台湾の都市名のカタカナ表記はメチャクチャなので要注意。今回の出発前に、九份(チウフェン)の読み方を確認するためWikipediaを見たら、そこにはジウフェンと書かれてる。え?濁音じゃん。台湾語読みの地名だとそういった読みもあるのかねえ、と思ったんですが、その後、基隆(キールン)がジールンと書かれているのを発見、ちょっと待てダメだこいつら、と思って再確認した所、やはり普通に九份(チウフェン)で正しいと知る。
恐らく中国語(北京語)の“九”のアルファベット表記、Jiuに引っ張られたんだと思いますが、そもそも中国語(北京語)に強い濁音はありませぬ。日本人の感覚だとチゥ、チウという音が正解。ついにで“八”をアルファベットでBaと書きますが、これも濁音のバ、ではなくファーといった感じの発音になります。こういった基本中の基本すら知らない人が、平気で自信満々に記事を書き込むのがWikipediaの怖い所なんでしょうな…。
九份(チウフェン)はもともと金鉱の横にできた鉱山街で、このため山の上に唐突に住宅街と商店街が展開する、という不思議な一帯でした。でした、というのは今は違うから(笑)。金鉱はとっくの昔に掘りつくされ、老街も現在は完全に観光地化され、かつてのような寂れた鉱山街の面影は一切ありませぬ。
ここは1989年 ベネチア映画祭で金獅子賞(最優秀作品)を受賞した台湾映画、非情城市の舞台となって脚光を浴び、観光地化されたと言われてますが、個人的には怪しいと思います(笑)。
台湾では長年のタブーであった国民党による市民弾圧、二二八事件を扱ったこの映画は台湾の民主化が始まった証拠として今でも台湾ではファンが多いのは事実らしいですが、そもそも民主化直前のこの時期の台湾に観光と言うものが存在したかも怪しく、ここの観光化が進んだのはずっと後じゃないかなあ、と思いまする。そもそも映画を見る限り、1989年でも周囲の道路はとても観光バスが通れるようなものじゃないですし。ちなみに二二八事件については明日、意外な形で触れる事になります。
今回、九份(チウフェン)は山の上にある高低差の多い古い繁華街、老街であり、その夜景は幻想的という話を聞いて出かけて見たわけですが、結論から言うと、完全に観光地化が進んでしまっており、それに加えてそれほど面白い街並みでもなく、正直言ってちょっとガッカリ系ではありました。それでもとりあえず、ざっと紹介いたしましょう。
さて、台湾の国鉄、臺鐵(TRA)の切符販売機まで来たのですが、どうにも買い方が判らない。特に説明もなく、参ったなあ、と思っていたのですが、そういや例の交通系ICカード、悠遊(ヨウヨウ)カードは台北近郊まで利用可能になったいたな、ひょっとして使えるかも、と案内所で聞いて見ると、そりゃもちろん、とのお答え。
だったら話は早い。さっさとそれで乗ってしまいましょう。
乗り場は全て地下なので、そちらに降りてから改札を探す。ちなみに改札は通路の左右に分かれてましたが、どちらから入っても大丈夫です。
改札を入ると左右にホームが分かれてますが下に行き先が書いてあるので迷う事は無いでしょう。
ちなみに基隆(キールン)市に向かうのですが、九份(チウフェン)の最寄り駅は基隆駅ではなく瑞芳(ルイファン)駅なので注意。基隆は別路線なので、そちら行きの列車に乗ってしまったら永遠にたどり着けませぬ。
ホームには電光掲示板表示もあるので大丈夫。下はまさに目的地の瑞芳(ルイファン)行きですが、40分以上先だなあ、と思ってホームにあった路線図で確認したところ、上の蘇澳行きでも大丈夫だと判明、あと8分で列車は来るようです。
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