さて、これだけのメリットがある以上、川本さんがその設計にあたり大口径エンジン、カタカナ英語スキーの皆さんが言う所のショートストロークエンジンを選んだのも当然でした。実際、当時の他のターボエンジンも程度は違えど大口径エンジンだったと思われます。



ホンダは最初の二輪世界GP時代から大口径(ショートストローク)エンジンを得意としてました。写真は350tクラス用の空冷エンジン。
白い矢印で示したように短い気筒、ショートストロークになっています。



対して市販の自動車N360用の空冷エンジン。
これの設計の基になったのはバイク用エンジンなんですが、市販車用なのでご覧のように気筒(シリンダー)は常識的な長さのものになってます。高馬力が出るという事は燃費が悪くなる、という事でもありますから、レース用エンジン以外では大口径(ショートストローク)エンジンのメリットは薄いのです。

ただし川本さん設計のF-1用ターボエンジンの場合、先にも見たようにF-2用のエンジンから改造する際、単純に気筒の全長(ストローク)を短くする、という手段を取ったため、やや異常とも言える大口径エンジンとなってました。
気筒の直径と全長の比を取ったボア・ストローク比(一般的な英語だと単純にStroke ratio)は1983年の最初のF-1エンジン、RA163E以降、90×39.2mmでした。すなわち全長は直径の半分以下。ホンダは85年の前半まで川本さん設計世代のエンジンだったのですが、最後までこの比率は変わってないようです。

ちなみに1970年代のF-1を支配した傑作エンジン、フォード・コスワースDFV 8気筒の比率は85.6×64.8oでしたから、ホンダのターボエンジンは直径はほぼ同じで全長は約4割も短い設計という事になります(直径がほぼ同じで全長が短いのは自然吸気エンジンの排気量3000tに対してターボエンジンは半分の1500ccであり、さらにV8とV6の差)。

ここまでくると、いくら大口径が有利と言ってもいろいろ無理が出て来ます。
エンジンの吸気は気筒内のピストンが下がって注射器が採血するように混合気を吸い込みます。それがこれだけ短いと高回転の時などは十分に吸い込めない場合が出て来ます。さらにあまり横に広い内部空間だとプラグで点火された火炎が広がりにくい、という特徴がありました。すなわち不完全燃焼の発生です。これも高回転時に起きやすい現象でした(1万2千回転/分だと1秒間に200回転、バルブの開閉と点火は回転数の半分とはいえ100回にもなる)。
これではせっかくターボ過給器で大量に取り込んだ燃料が完全に燃焼できず、そのまま排気されてしまってメリットが帳消しです。そして当然、燃料の無駄は燃費の悪化にも直結します。

かつてのF-1はレース途中での給油が可能だったのですが、1983年からこれが禁止になり、燃費の問題が重要になって来ていましたから、この点も問題でした(ちなみに1994年に給油は復活。2010年から再度禁止)。同時に燃費が良ければより少ない搭載で済むので、レース序盤に車をかなり軽くでき有利となります。この点でも大口径(ショートストローク)エンジンは不利だったのです。

対して、桜井さんはシティとそのターボエンジンの開発で、小口径(ロングストローク)エンジンのメリットを完全に理解してました。
まずホンダの研究チームが独自に発見していた低燃費化、そして市販車ではあまり意味が無かったのですが、ノッキングが発生しにくい、という特徴がありました。これがレース用エンジンでは大きな意味を持ってきます。



ホンダのオシャレ車1号、という印象が強いシティですが、その後のF-1活動にも大きな影響を与えた車でもあるのです。

ノッキングは高い圧縮比、すなわち大量に混合気を気筒(シリンダー)に詰め込んで燃焼させると起きる現象です。プラグの点火とは別の場所で高温による自然発火が起き、そこで生じる衝撃波によって気筒(シリンダー)の内壁などが破壊されてしまいます。第二次大戦時の航空機が空気の薄い高高度で戦うために過給機による圧縮を採用した時、悩まされた問題がこれでした。
これを避けるには自然発火しにくいオクタン価の高いガソリンを使う(第二次大戦の時の連合軍側の対策がこれ)、ノッキングが起きない程度まで圧縮比を下げる(対して高オクタンのガソリンが無かった枢軸国側の悲しい対策がこれ。当然、性能は落ちる)などの対策が必要です。

とりあえずノッキングを起さない高オクタン系のガソリンはどのチームも使ってましたから、あとは圧縮比をどこまで落とすか、という問題になってきます。
が、ターボエンジンの利点は圧縮比を上げて混合気を一気に大量に取りこんでトルクを上げる、ですからこれはその利点を殺してしまう事を意味します。

この点において、小口径(ロングストローク)エンジンは有利だったわけです。ノッキングが起きにくいのなら、他のエンジンより高い圧縮比が使えますから、当然、トルクが出ます。それは馬力の向上も意味しますから、レースエンジンには有利です。それに加えて低燃費となるのですから、燃費の問題に悩まされがちな高馬力ターボエンジンには有利な点だらけ、という事になります。

そして大口径(ショートストローク)エンジンのメリット、大きな吸排気の穴を開けて大量に混合気を吸い込める、という点もターボエンジンなら無視できました。過給機によって高圧の混合気を強制的にエンジンに送り込むため、小さい穴からでも強引に大量の混合気を押し込めたからです(実際は気筒内に高圧で流れ込んだ後の気流の問題とかもあるのだが、ここでは取り上げない)。
後はピストンの上下行程を短くできる高回転化のみが大口径(ショートストローク)エンジンの利点となります。ただしこれも先の燃費などの欠点により、十分な高回転で回す事は事実上不可能だったので小口径(ロングストローク)エンジンに対して必ずしも有利ではありませんでした。

ここまではっきりしている以上、新型エンジンはホンダ伝統の大口径(ショートストローク)エンジンを捨て、小口径(ロングストローク)エンジンで行くべきだ、という事になりました。この時、彼らが採用したボア・ストローク比は82×47.3mm。約1 : 0.58 の比率でした。
川本さん世代エンジンの90×39.2mm、約1 : 0.44 に比べると大幅に長くなってるのですが、その後の改良ではさらに小口径(ロングストローク)エンジン化が進められ、ウィリアムズと組んだ最後の年、1987年のRA167Eでは79×50.8o、約1 :0.64 まで引き延ばされてます(直径が小さくなってるのにも注意)。

ちなみに桜井さん以下がこの決定をしたのが、先に見たように第15戦の直後ですからすでに10月であり、翌年にこのエンジンを投入するなら、年内にはその設計を終える必要がありました。
すなわちたったの二カ月しか時間が無かったことになりますが、市田さんと新たに加わった若手の設計陣は12月に入ってホンダ名物、エンジン設計合宿を行い、三週間でその設計を終えてしまいます。その後、次回に見るようなゴタゴタがあったものの、翌1985年の3月にエンジンは完成、その月末からテストが始まりました。

そしてテストを始めると、低燃費でトルクがあり、一度回転を落してもすぐ戻る、さらに高回転まで回せて高馬力、それに加えて耐久性も高い、という奇跡のようなエンジンである事が判明します。これが後のホンダの無敵ターボエンジンの始祖となるわけです。

ちなみにそもそも設計陣ですらここまでうまく行くとは思っておらず、

「全てのタマ(燃費、冷却、出力、馬力、耐久性)が当たるなんて奇跡でも起きない限り、まず考えられない事なんです。まったく奇跡的でしたね」(市田さん)

「狙い通りというより狙い以上だ。一発勝負でこんなにすべてがうまく行ったことは私の経験でもほとんどない。まさに奇跡的だった」(桜井さん)

といった証言を残していますから、相当な驚きを持って受け入れられたようです。ある意味、運もあったという事でしょう。

ただし、翌1985年の開幕戦からしばらくは、従来の川本さん設計エンジンを改良したものが投入されました。
これは新型エンジンがまだ完全では無かったのと同時に、桜井さんによるチーム改革がそれまでの四輪レースチームを支えて来た面々、F-1番長 川本さんを含む旧来のメンバーと衝突した結果でした。これを乗り越えてホンダは無敵ホンダに成長する事になるのですが、この点はまた次回。

ついでにこの小口径(ロングストローク)エンジンはあくまでターボで有利、というエンジンで、後にF-1でターボが禁止になるとホンダも従来の大口径(ショートストローク)エンジンに回帰しています。それでも第二期最後の1992年に投入されたV12では88×47.9o、約1 : 0.54の比率でしたから川本さん世代の大口径(ショートストローク)エンジンの極端さが判るかと。

といった感じで今回はここまで。


BACK