さて、今回の記事の最後にレーシングカーに搭載される空力装置、カタカナ英語でウィング(Wing)、スポイラー(spoiler)、と書かれる装置について簡単に見て置きましょう。ホンダの第一期最終年、1968年からF-1に持ち込まれた技術です。ちなみにこの二つは混同される事が多いですが、その成り立ちからして別物ですから要注意。

まず前者、翼(ウイング)は航空機の主翼と同じ翼断面を持ちながら、逆さまに取り付けることで下向きの力を発生させ、タイヤの接地圧を上げるもの。その原理は以下の通り。



航空機の翼は上下で曲がりの異なる板を使ってそれぞれの流速を変え(上面を高速化)低圧部を生み出します。これによって上に吸い上げる力を生じさせ(ベルヌーイの定理)、浮き上がります。これが揚力。
対してレーシングカーでは翼断面を飛行機とは上下逆に取り付けます。当然、力は下向きに生じ、これによって車体は強烈に地面に押し付けられる事になります。よってタイヤの接地圧が上がり、カーブなどで強烈な横向きの力が働いても(厳密には力ではなく直進の慣性だけど)車は地面に張り付くように走れます。また強烈なエンジンパワーを受けた後輪が空転しないようにもなるわけです。この下向きの力である降力、カタカナ英語でいう所のダウンフォースを生むのがレーシングカーの翼です。

もう一つ、気流遮断板(スポイラー)は車体上を流れる気流を遮断する事でタイヤの接地圧を上げるものです。ここでは判りやすい可動式のもので説明しますが、固定式でも動作原理は同じです。



速度が必要な直線ではは板を横向きにして空気抵抗を最低限に抑えます。ここでタダの板ではなく翼断面を逆さにした板にすれば翼(ウィング)による降力(ダウンフォース)が得られますが、後部に渦が生じて抵抗も増え速度が落ちますから逆効果になり、あまり意味がありません。そもそも直線で接地圧を上げる必要に迫られるのはよほど高馬力でホイルスピンを起しやすい車に限られるでしょうから普通はあまりやらないはずです。

車がカーブに差し掛かると板部が斜めに傾いて車体表面の気流を遮断し剥離させ(よってスポイラー/spoiler)正面から強烈な圧力を斜めに受けます。これが板を下向きに押し下げる力となり車体の後部の接地圧を上げるのです。当然、巨大な空気抵抗が産まれますがカーブに侵入する時ですから、むしろブレーキの役割をして有効です。

この時、完全に気流を遮断せず、下から一部が抜けるようにすれば航空機のフラップが上下逆になってるような状態になり降力(ダウンフォース)も生じます。この辺りの効果は速度によって差が出るはずですが、実験データを見たこと無いので詳細は不明としておきます(手抜き)。

とりあえず、どちらの装置も車体を下に押さえつける力を生みだすものです。それによってタイヤを地面に押し付ける接地圧を稼ぎ、高速でタイヤが横滑りして車がカーブの向こうにすっ飛んでゆくのを防ぎます。すなわち、これによってカーブを曲がる速度を向上させてるわけです。F-1が年々高速化するのは風洞実験やコンピュータシミュレーションの向上により流体力学的な解析が進み、これらの装置によってタイヤの接地圧が上昇、カーブを減速せずにガンガン曲がれるようになったから、という面が大きいのです。最高速の上昇はそこまで顕著ではありません。



写真は2005年のドライバー&コンストラクター チャンピオンマシン、ルノーR25。アロンソが最初にチャンプを獲った時の車です。車体前部と後部に大きな翼(ウイング)が付いてるのが見て取れます。ちなみに各ウィングの後半分部、強い角度で立てられる部分は気流遮断板(スポイラー)に近い構造を持ちます。



F-1の翼(ウィング)は可変式で取り付け角度を変えられるため、写真のように強烈な角度で後半部分を立てる事があります。こうなると、この部分に関してはほとんどスポイラーに近い存在となります。前にある水平に近い角度の翼(ウィング)とこの強烈な角度の翼(ウィング)は航空機の主翼とフラップを上下逆にしたものに近い形となるのに注意してください。この状態で300qとかで走れば、相当強力な下向きの力、降力(ダウンフォース)が生じるが想像できるでしょう。ちなみに写真の車は1987年のロータス ホンダ 99T型。



離着陸時の航空機は主翼後部にあって翼断面を持つフラップを下げて揚力を強めます。この主翼の状態をそのまま上下反転させると、F-1のウィングに近い状態になるわけです。隙間も造ってキチンと気流が途切れないようにしてますしね。

ちなみにF-1で最初に本格的な空力装置、翼(ウイング)と気流遮断板(スポイラー)を搭載したのは1968年第三戦モナコでデビューしたロータス49B となります。
この車は車体前部に小さい翼(ウイング)が、車体後部に翼断面を持たないクサビ型の板による気流遮断板(スポイラー)が搭載されていました。ちなみにこの年、ロータスはこの49Bによってコンストラクター&ドライバー(グラハム・ヒル)の両タイトルを獲得してますから、衝撃的な新技術のデビューだったわけです。

さらに次のベルギーGPでフェラーリが走らせたB312 では、ドライバーの後ろ、ほとんど車体中央部の高い位置に翼(ウィング)を取り付けており、これで前後両方のウィングが登場した事になりました。ちなみにこちらの車はフロントにウィングを持たず、ただの板を斜めにつけた気流遮断板(スポイラー)を採用してました。よってホンダのRA302はこのフェラーリに近い構造となってます。

最終的に現在のような前後共に翼(ウイング)を取り付けた車体が登場したのは同年第6戦のフランスGPにおけるロータス49Bからで、すなわちわずか4戦で一気にこの辺りの技術が進化してしまった事になります。まあ、当時からF-1における技術開発というのは凄まじいものがあったのでした。このフランスGPはホンダの空冷F-1が死亡事故を起こしたレースですが、同時に本格的な空力装備搭載F-1時代の始まりを告げるレースでもあったわけです。

ただし翼(ウイング)や気流遮断板(スポイラー)を付けてタイヤの接地圧を上げる車を最初に走らせたのはF-1ではなく、あの「細かいことゴチャゴチャ言ってないで最速の車を決めようぜ」のリアル チキチキマシン猛レース、CAN-AM(カンナム)レースでした。

すでに触れましたが、例のアイデア満載チーム、シャパレルが1965年に投入して来たシャパレル 2C型(Chaparral 2C)の後部に初めて可動式スポイラーが取り付けられたのです。とりあえずこれが世界初の空力装置によるタイヤの接地圧を上げる工夫だったとされます。
ちなみ1965年の段階でシャパレルは装置の動作をほぼ自動化しており、カーブで自動的に後部のスポイラーが斜めになるようになっていたとされます。なんともスゴイなという感じです。ただし、そこまでしてもシャパレルはなぜか勝てないチームであり(涙)、Can-Namにおいてはドライバーでもコンストラクターでも一度もチャンプを獲ってません…

そのシャパレルが1967年に投入して来たのが、世界で初めて翼(ウィング)を車体後部に積んだシャパレル2E型でした。同じ“2”ですがC型とE型は完全に別物で、この車からホンダのRA301にも付いてたような高い位置に設置された後部翼(リアウィング)が登場したのです。このシャパレルの技術革新は早くも翌1968年にF-1に取り込まれた事になります。

ちなみに登場直後のF-1の翼(ウィング)は試行錯誤の連続でした。当初は車体周辺の乱流を避けるために後部翼はより高い位置につけるように進化したのですが、当然、強い力が細い支柱に掛かって折れまくり、危険であるとして間もなく高さ制限が行われます。実際、1968年のシーズン中、ホンダのRA301もイギリスGPでウィングの支柱が折れる事故に見舞われてます。
ちなみに翌1969年にはフロントウィングの後ろにリアウィングのように高く持ち上げた翼を付け、前、中央、後ろと三枚の翼を積んだ車も登場しており、過渡期の混沌を感じさせる展開を見せてました。

こうしてタイヤの接地圧を上げてスリップを防ぎ、カーブでも速度を落さずに曲がれるようにするとベラボーに速く走れる事が判って来ると、もっと下向きの力を稼ぐ手段は無いか、と誰もが考え始めました。
そんな中でまたシャパレルが1970年に投入して来たのが一部で有名なファンカーです。これは文字通りマシンのケツに排気用換気扇、巨大なファンを付け、車体下部の空気を強制的に排気して低圧部を造り、それによって負圧を生じさせて地面に車を貼りける、という豪快なモノ。
当然いくらファンで空気を掻き出しても周囲から流れ込んでは意味がないですから、車体の周辺下部にはスカートと呼ばれるプラスチック製の板状の囲いが付けられてました。一定の効果はあったらしいのですが、機械的なトラブルからほとんどまともに走らなかったようです。さらに後にマシンの規定違反にも問われ、結局、まともに出走もできずに終わってます。

ちなみにこれに影響を受けたのが、これまた一部に熱狂的なファンがいる(笑)ブラバムがF-1に持ち込んだファンカー、BT46Bでした。こちらは強力な戦闘力を持ち、1978年の第8戦スウェーデンでデビュー、前年の世界チャンプ、ニキ・ラウダの運転で圧勝してしまいます。が、さすがにこれはどうかという事になり、もめにもめた結果、最終的には以後出走禁止にされてしまいました。
この年は次に見るウィングカーをロータスがデビューさせた年であり、前年の1977年はこれも一部で人気の六輪F-1、ティレルP34が走ってたりするので、F-1が技術的にもっともやりたい放題だった時代なのかもしれません。

ちなみに、このファンカーのように何らかの手段で胴体下に負圧を発生させ車体を地面に押し付ける技術を地面効果(Ground effect)と呼ぶのですが、航空用語の地面効果とは全く別物なのに注意。
主翼から生じる吹きおろしの風が地面で反射され、機体を持ち上げ、なかなか着地できなくなるのが航空機における地面効果であり、対して気圧差によって車体を地面に押し付けてタイヤの接地圧を上げるのがレーシングカーにおける地面効果です。すなわちほぼ正反対の現象であり完全に別物となります。この辺り、英語圏の皆さんでも混乱してる事があるので要注意。

でもってそのグランドエフェクト、地面効果の新たな手段として考えられたのが、1977年にデビューしたF-1マシン、ロータス78で採用されたウィング カー構造した。これは車体横のラジエターなどが入っているサイドポンツーン部分(Side pontoon 適切な日本語訳は無い。横位置平面構造といった意味)を翼断面構造にしてしまい、ここの下面に低圧部を生み出して降力、ダウンフォースを稼いでしまえ、というもの。



大雑把な図にするとこんな感じで、車体横に巨大な翼断面構造、すなわちアスペクト比がチョー低い主翼を上下逆に取り付けてしまったようなものとなってます。これによって前後のウィングだけの時とは比較にならない大きな降力(ダウンフォース)を生じさせ、車体を地面に貼り付けけます。

その効果は絶大でしたが、ロータス78は性能が安定して無かったため優勝かリタイアの極端な戦績になりました。このためロータスのエース、マリオ・アンドレッティは全ドライバー中最高の4勝を上げながら3位に終わります(チャンプは3勝ながらコンスタントに表彰台に上がっていたフェラーリのニキ・ラウダ。ただしフェラーリチームとのトラブルで最後の二戦(日本GP含む)を走って無い)。
ただし翌1978年にはシリーズ途中の第6戦ベルギーGPからより進化したロータス79が投入され、この車が出走した全11戦中6勝という強さでコンストラクター&ドライバー(アンドレッティ)の両タイトルを獲得してます。もっとも翌1979年からは他のチームもこの構造を採用し始めたため、ロータスの天下はこの一年で終わってしまうのですが…



ウィングカー構造は後に多くのレーシングカーに取り入れられ、1970年代末から80年代初頭の定番技術になります。
ホンダコレクションホールに展示されてる1981年のF-2用マーチ製のシャシー812型もウィングカーで、サイドポンツーンの上面が平面に仕上げられているのはそのため。サイドカバーで覆われて見えない下部構造は凸型の膨らみを持ち、サイドポンツーンは上下反転した翼断面になってます。そこで生じる低圧部に横から空気が入って効果が消えないよう、サイドカバーが地面に近い位置にまで取り付けられているわけです。

ただしこういった地面降下による力は気流の速度に依存しますから、車の速度が落ちると急激に低下します。通常、F-1などでは急カーブでも100q/h以上、高速カーブだと軽く200q/h以上といったスピードで駆け抜けるため、問題は無いと思われてました。ところが予期せぬ急ブレーキなどで急減速すると突然ダウンフォースが失われて車輪が滑り、制御不能となって吹っ飛ぶ、という事故が多発します。さらにカーボンファイバーによる堅牢なシャシーが登場する前のレースでは事故時の死傷率が高く、コーナリングスピードが高くなると極めて危険である、という事になって来ます。

このため、1980年代になると多くのレースでその使用が禁止され始めます。F-1では1983年より前輪から後輪間の底部を平面にする事を義務づけるフラットボトム(Flat bottom)化が決定され、さらに床下を密閉する板、左右のスカートの使用も禁止となりました。なのでF-1におけるグランドエフェクトカーの活躍は1982年までとなるのですが、近年の安全性の向上と空力的な進化から、2021年より再びグランドエフェクトの採用が認められるようになります(この記事の執筆は2019年12月)。

ちなみにウィングカーが生みだす降力(ダウンフォース)はサイドポンツーン底面の気流が高速になり負圧が生じて吸い下げるものでした。だったら翼断面以外でも床下の気流の高速化ができれば同じ効果があるはずです。それらの追及が1983年以降のF-1の基本となるのですが、その解決策の一つが1990年のティレル019型から採用された持ち上げ型先端部、ハイノーズ(high nose)と呼ばれる構造でした(ちなみに019は私が最も好きな車の一つ)。



2005年のマクラーレン メルセデス MP4-20 。
ご覧のようにノーズの先端部が上に持ち上がっていて、ウィングはそこからぶら下げて取り付けられてます。これによってノーズ部と地面との間に十分な空間が確保されるのです。これは車体下面の前に余計な障害物を造らず、気流を高速のまま下面に流入させるための工夫の一つ。もちろん、これだけでそう簡単に流速が上がるわけではないので、それ以外にもさまざまな工夫がされてるわけですが、正直、ここまで来ると私にもよく判りませぬ。

とりあえず近代F-1においては空力技術の多くは最高速度を上げてるためのもの(単純に乱流の発生を防ぐためのもの)ではなく、車体を下方向に押し付ける力、降力、ダウンフォースにより接地圧を得るためのモノと考えていいでしょう。F-1でも原寸大で風洞実験をやって、コンピュータシミュレーションと合わせて車を造ってますから、外見を見ただけではもはや何を狙ってるのかよく判らん、という部分も多いので、私に判るのはこの辺りまでですが。

という感じで、今回はここまで。


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