エンジンに高回転化が求められる理由はもう一つあります。それはタイヤをたくさん回せれば、よりたくさん前に進める、つまりより速いという単純な理由です。ただし現実には十分な回転力、トルクがないとどんなにエンジン回転数を上げてもタイヤを速く回せない、そもそもエンジンが止まってしまう、という点も見て置きましょう。あくまで同じトルクなら高回転の方が有利、という話なのです。
■高回転化の理由その2 単純により多くタイヤを回した方が速く走れる
時代によって多少の変化はありましたがF-1の後輪タイヤ、エンジンの回転を地面に伝えて前に進むタイヤの直径は70p前後、すなわち0.7m前後でした。となるとその円周は直径0.7×3.14=2.198、約2.2mです。 F-1のタイヤは粘着によって地面に貼りつきながら回転しますからタイヤが一回転すると車は2.2m前に進みます。この点を簡単な図にすると以下の通りです。
タイヤは当然、エンジンの動力軸がこれを回してるわけで、もっとも単純な構造、動力軸とタイヤを直結(ギア比1:1)する状態で考えるなら、分間1000回転(1000rpm)のエンジンに対し、分間1万回転(10000rpm)のエンジンは十倍の距離を進みます。経過時間は同じ1分ですから、これは分速、速度で10倍の差が付く事を意味します。このためエンジンは高回転の方が速度では圧倒的に有利となるわけです。単純な話ですが、これが高回転エンジンが有利となる大きな理由の一つです。
ただし実際はトルク(力)の大きさとギア比の問題が出て来ます。
通常、車のエンジンのトルクは意外に低く、例えば日産のモンスターマシン、GTRですら約60sf m(約588N
m)でしかありません。これはエンジンのシャフトにヒモを結んで荷物を垂直に巻き上げる場合、わずか60sのモノしか吊り上げられない、という数字です。ちょっとでもデブだともうアウト。そんなものなのです。ちなみにGTRの重量はドライバーとガソリン抜きでも1.7トンありますから絶望しか感じない数字となってます。
そして力が足りなければエンジンの動力軸は回りません。動力軸はクランク軸に直結されてますから、これが回らないと気筒(シリンダー)内の圧縮、爆発燃焼が停まり、当然、エンジンが止まってしまいます。いわゆるエンストですね。よって、そもそもトルクが足りなくて前に進めないのではどんなに高回転エンジンでも意味が無い、という事になります。
走る化け物、GT-Rでもトルクはそんなもの。写真は2005年に発表されたプロトタイプ。GT‐Rはこれしか写真撮って無いのでご容赦。
それでも自動車がキチンと走るのは幸いにして重力は物体に垂直に働くからです(坂道を除く)。
垂直に交わる力のベクトルは進行方向のベクトルに対してマイナスになりませんから、どんなに重量(質量×重力で下向きの力の量)があってもこれを無視できます。よって問題になるのはタイヤの摩擦力(レーシングカーの場合はタイヤの粘着力)、そして空気抵抗だけです。
ただし質量(ベクトル(向きを)持たない量)は消えませんので、重い(質量が大きい)車ほど動かすのが大変です。それでも摩擦と空気抵抗がなければどんな小さな力でも物体は必ず加速されますので(抵抗力が無ければ力が加わった以上、必ず動く)、デグーが一匹でもGTRを引っ張って動かす事は可能です。ただし、デグーでは極めて遅いですし、現実にはタイヤに掛る摩擦力に勝てないので、GT-Rはデグーの代わりに500馬力超えのエンジンを積んでいるのです。
が、先に見たようにそのエンジンのトルクは極めて貧弱で、とりあえず走る事は出来るでしょうが加速は絶望的にショボく、かなりカッコ悪い事になります。そこでギアの歯車、ギア比(Gear
ratio)の調整でトルクを大きくします。そして十分に加速された後は逆により速く車輪を回転させて走る、トルクを下げて速度を稼ぐギア比を取ります。この辺りの原理も少し見て置きましょう。
とりあえずギア比の基本的な考え方は以下の通り(rは円の半径)。
エンジンの動力軸の持つ力、トルクはすでに見た計算で出ますから、ここでは説明しません。
その動力軸の横に大きさの異なる歯車を噛ませるとどうなるか、を考えましょう。実際は歯車の歯の数で計算される事が多いですが、半径の比に変換して計算しても同じ事になるので、単純化のためそちらで説明します。
まず、トルク、回転の力を考えます。これは力を加えた点からの距離と力の大きさで決まり、回転運動ですから距離は自動的に半径(r)となります。よってトルク(T)=力(F)×半径の長さ(L)ですね。
同時に速度の問題を考えると、歯車の回転速度は1秒間に円周が動いた距離で決まりますから円周の距離が自動的に速度と同値になります(単純化のため角速度ではなく移動距離で考える)。
そして円周は直径×円周率(π)ですから、2rπとなるわけです。
以上の条件で、動力軸の横に二倍の長さの半径(直径も2倍だから円周距離も2倍)の歯車を置くとどうなるか。
まず歯車の半径が2倍なので動力軸に対し2倍のトルクが生じます。すなわちこの歯車の回転軸で取り出せるトルクはエンジンの発生させるトルクの2倍の大きさになります。当然、半径を3倍、4倍とすれは力の大きさもそのまま3倍、4倍になりますが、あまりに大きい倍率の歯車はギアボックスに入りきらないので、現実的にはギア比は1:4、4倍の大きさの歯車あたりまでなのが普通です。それでも歯車だけでこれだけの大きさまで力が大きくできるわけです(現実には摩擦や熱でもう少し小さい数値になるが)。
同じように速度を考えると、すでに見たように円周は動力軸の倍の距離になります。よって動力軸が1回転する間に、この歯車は1/2の距離しか回れません。つまり速度は半減しますから、上のタイヤの回転数で考えれば判るように走行速度も半減します。これはトルクの大きさを2倍にする代わりに速度を半分にする、という事であり、こういった歯車を減速歯車と呼びます。
つまりギアの半径と力の大きさは正比例し、逆に速度は反比例する、その係数は逆数となる(n
&
1/n)というステキに判りやすい関係が成立します。ギアによって力が倍になれば速度は半分になるわけです。
それらを理解した上で逆に動力軸の1/2の大きさしかない歯車を横に置くとどうなるかも考えましょう。当然、全てが逆に、すなわちトルクは半分に、速度は倍になるので、これは増速歯車と呼びます。力は半分しか無いけど速度は倍出る、という事です。
このように動力軸を車輪に直結せず、途中に歯車を入れて選択することで、小さいトルクを補い、さらに高速走行時には車輪をより高速回転させられるのです。そして逆側、動力軸側にかかる力、負荷もこのギア比で決まりますから、最適なギアを選べば、エンジンに余計な負荷をかけず、すなわちその回転数を落とさずにもっともトルクが出る回転数を維持して走れるわけです。
これがギアの基本原理となります。あくまで“基本”なので実際はもう少しいろいろありますが、ここでは無視します(手抜き)。
とりえず動力軸より大きいギア比、1:2とかならトルクが上がって速度が落ちる、逆に小さいギア比、1:0.5とかならトルクが下がって速度が上がる、というのは覚えて置いてください。参考までにGTRのギア比は日産の資料のよると以下の通り。
一速 |
4.056 |
二速 |
2.301 |
三速 |
1.595 |
四速 |
1.248 |
五速 |
1.001 |
六速 |
0.796 |
四速までギア比は1より大きく、一速に至っては4倍の半径の歯車でトルクを大きくしています。やはり重すぎるのだ、と言うのが見て取れる数字でしょう。五速でようやくギア比がほぼ1:1、すなわちエンジンのトルクだけで直接走らせられるようになり、結局、動力軸より車輪が速く回るのは六速の時だけだったりします。
もっと車体の軽いホンダのS2000だと一速はより低い3.133ですが後は似たような数字で(ただし五速から僅かに1を切るが)、最初の発進に使う一速を別にすれば、市販車ではこういったギア比が普通なようです。ただしF-1に関しては信用できる資料が手に入らず詳細不明ですが…
ちなみに、この辺り、オートマ、無段変速となって来るとまた話がいろいろ変わって来るのですが、ここでは触れません。私もよく知らんし。
以上で判るように、エンジンのトルクが無いとギア比を上げて回転速度を落す(運転席ではギアを下げる)、すなわちタイヤの回転数を落として速度の低下に目をつぶるしか対策がありませんからエンジン回転数を上げても有効に使う事ができません。結局、トルクが大きい方が、この点でも有利になります。ただし逆に言えば、同じトルクなら回転数が多い方が速度の上で有利なので、これがエンジンの高回転化が求められる理由です。
■最後に馬力(仕事率)も見て置こう
でもって、ここまで読んで来たら、
■トルク
車を前に進める力(F)。これが弱いとそもそも車は動かないが、加速、登坂以外の場合、特に一度加速して等速(最高速)走行に移る場合はそれほど意味が無い。なので最高速にした後はあまり意味がない。そして最高速は回転数で決まる。
■エンジン回転数
より速くタイヤを回してより多く前に進むための要素。大きいほど速度が速くなるがトルクが不十分だとそもそも前に進めないから意味が無い。同時に回転数を上げればトルクも上がるので、ギアを使って一度高い回転数まで上げたらそれを維持して走るのが理想である。
といった関係が成立するのが判ったはずです。…判りましたよね?
となると両者は緊密に関係している以上、別々に数字を見るのは不便だと考えられるのです。そこで登場するのが馬力、W(ワット)という単位で示される仕事率です。馬力とWは単位が違うだけで同じ量(次元)ですが、計算上はWの方が単純なので、その計算式を以下に示します。ちなみに出て来た数字を1000で割ればキロワット、それに1.3596を掛ければps単位(ヨーロッパ本土式馬力)に、1.341を掛ければhp(イギリス式馬力)になります。
トルク(kg
m)×回転数(rpm)×2π÷60秒(s)=トルク×回転数÷9.549=W(ワット)
2πは円周を求める、つまり軸が回転移動した距離を計算するためのもの(半径は基本単位の1mで既にトルクの計算に取り込まれてるので計算に使わない)、60秒はrpm、分間回転数を力学の基本単位時間、1秒間の回転数に変換するためのもの。よって、この二つはあらゆるエンジンで同じ数字が使われるので、実質的には
トルク×回転数=エンジンの仕事量(J,Cal)≒仕事率(W,Ps,Hp)
と考えて置いてほぼ問題はありません。
ただし時間で割り算して無いので厳密には仕事量(ジュール、カロリー)であり、仕事率(ワット、馬力)ではありません。あくまで数字の大小で馬力のメドが立つからこれで十分、という話であり、厳密には次元(単位)が違う以上、全く別物なのに注意。
エンジンのトルクは排気量と車の種別(乗用車、スポーツカー、レーシングカー)が似ていれば大きな差が付く事は無く、似たような排気量で同じタイプの車なら、回転数をみればほぼその速さを推測できるのです。よって同じような排気量で似たような分類の車なら、馬力が大きいほど速い、と考えていいでしょう。なので排気量が統一されてるレース用の車ではほぼ馬力がその速さを示します。
逆に言えば、馬力が大きいからと言ってトルク(力)が大きいとは限らないのです。連載の最初に言ったように、馬力の大きさは必ずしも力の大きさを示しません。馬“力”という用語が誤解の元なんですが、馬力は力の大きを示す量ではないのです。よって馬力が多いから力持ちで、力が必要な加速、登坂に有利、とはなりません。むしろトルクはスカスカなのに回転数で馬力を上げてるエンジンなどでは、まともな加速を期待する方が無理です。
この辺りを厳密に言えば馬力は力(F)×速度(V)で求められる量ですから、エネルギーの消費速度、そしてエネルギー=仕事なので仕事の消化速度、すなわち、どれだけ素早く仕事ができるかを示します。よって仕事率なのです。
力の単位(次元)はN(ニュートン)またはkg m/ss
であり、仕事率の単位(次元)はW(ワット)、馬力、またはkg mm/sss=kgf
m/s となりますから、完全に別物です。
すなわち500馬力ってどれくらいの力づよさ?という話は30sってどのくら速いの?と聞くのと同じくらい、全く意味をなさない事になります。
馬力はエンジンが発生させる“力”の大きさではなく、力を使ってどれだけ効率よく動くか、つまり素早く走れるかを見るための量なのです。よって500馬力なら相当速い、というのは判りますが、すでに見たようにGT-Rですらトルクは貧弱で、力持ちではないのです。例えばトラックのエンジンで見ると、日野自動車のレンジャーに使われてるエンジンは5000tの排気量を持ちながら、馬力は最大でも260馬力(ps)、GT-Rの半分に過ぎません。
ところがトルクは90sf
m、約1.5倍もあるのです。当然、こちらのエンジンの方がはるかに“力持ち”であり、重いものを運ぶという点では圧勝となります。その代わり、回転数が低いのがすぐに見て取れますから、速度は落ちます。このように馬力と言うのは主に速度に対する指標であり、力の指標にはなりません。この点はご注意を。
ついでにこの辺りの説明を自転車のペダルを踏み下げる力と自転車の車輪の回転数で説明する事があります。基本的な考え方は間違いではないもののレシプロエンジンと人間の脚ではいろいろ違いがあり過ぎるので、あまり鵜呑みにしない方がいいでしょう(そもそも人力の自転車の場合、回転数とトルクに相関関係が無い)。
といった感じで、今回の大脱線はここまで。
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