こちらはオフロードスポーツ系のバイク。といっても私は全く興味が無いし、当然、ぜんぜん知らないので、この写真だけでオシマイ。
まあ、そういう事もあるさ。



ホンダの大型バイクの看板を背負っていたCB750 Four が50周年…ということだったんですが、いや、これトライアンフと男のカワサキのバイクじゃん。…なんで?



 と思ったら、その後ろにありました。1969年に発売となったホンダ ドリーム CB750 FOUR。
並列4気筒の750tエンジンで8000回転で67馬力を出し、恐らく日本初の前輪ディスクブレーキを搭載した大型二輪車でした。
元祖ナナハンで、以後、日本ならではの750tという排気量の大型バイクの先駆けともなっています。その後、メーカーの自主規制により、750tが日本のバイクにおける最大排気量だった時代が規制が撤廃される1988年まで続くのです。
ちなみにナナハンという呼称もホンダが考えたもので、当初は排気量を秘匿するための隠語だったのが、後に雑誌に掲載されて広まった物らしいです。

スーパーカブの開発責任者だった原田義郎さんが指揮を執って、1968年2月に開発が始まった大型バイクがこのCB750Fourであり、アメリカ市場を念頭に考えらていました。が、アメリカのホンダ関係者からはBigger is better、大きい方がいいのだ、という頭の悪い要望しか入ってこず、頭を抱えたそうな。で、最終的に当時、アメリカでも人気が高かったイギリスのバイクメーカー、トライアンフの新型が750tらしい、という事で、それに合わせて排気量を決定したのだとか。
ちなみに原田さんはディスクブレーキの採用に不安があったのですが、本田宗一郎総司令官の「ディスクブレーキに決まってるよ!」の一言で採用になったらしいです。

アメリカでは極めて低価格に設定したとこもあり(1495ドルで他社の半額に近かった)、CB750Fourは大ヒット、当初の予定だった年産1500台がそのまま月産台数となり、さらに最終的には月産3000台となって、ナナハン時代の始まりを告げる事になります。
これでホンダは大型バイクにおいても世界的なメーカーへと脱皮して行く事になりました。ちなみに大ヒット後には当時、幸か不幸かH1300の失敗で手が空いていた鈴鹿工場に生産を移管、これが鈴鹿工場の救世主にもなりました。

ちなみに販売直前の1969年1月のホンダ社内報に大型バイクへの進出を決めた件について本田宗一郎総司令官の談話が出てるのですが、これが面白いので転載しておきます。

「昨年6月にスイスに行った時、公園にお巡りさんが白バイに乗ってきて、降りたんですよ。なんだ小さなオートバイに乗ってきやがったなあと思っていたら、なんとそれがトライアンフの750ccなんだよ(*筆者注。この時期にトライアンフの750tは無いので650tの勘違いだと思われる)。だから実際はでかいんだよ。それがどうして、そんなに小さく見えたかというと、お巡りさんがでかすぎるんだよ(笑)。(中略)なるほど、これじゃ日本の感覚でオートバイを作っていたんじゃだめだわいなあ!と思ったんですよ。」



ホンダがアメリカ向けの大型バイクを計画した時、ライバルとして意識したバイクメーカーが、イギリスのトライアンフでした。
今では信じられませんが、アメリカ、ヨーロッパで人気の高い大型バイクは、ノートン、トライアンフといったイギリスメーカーのモノが主だったのです。
そういった意味での展示だと思いますが、これは1961年に発売されたトライアンフのヒット作、 ボンネビル(TRIUMPH BONNEVILLE)T120R。エンジンは650tで46馬力を出していました。このクラスが当時の平均的な大型バイクで、450tまでしか無かったホンダが一気に逆転を狙ったのがナナハンだったわけです。

余談ですが望月峯太郎さんの「バイクメーン」というトライアンフとノートンが(ちょっと違った意味で)戦う漫画がありまして、個人的にバイク漫画の最高峰はこれだろうと、と思っております。興味のある人は読んでみてください。



最後は意外な珍車を。1982年に発売されたスズキのRE-5。なんでこんなところに、と思いました(笑)。

これロータリーエンジンを積んだバイクでして、デザインはジウジアーロ。ただし国内販売はされず、輸出のみ。私は初めて実車を見ました(逆輸入車もあったがなにせ売れなかった)。
ちなみに有名なGSX1100、いわゆる初代カタナの発売が1981年ですから、この時代のスズキは攻めてたんですよ、いろんな意味で。

ついでにロータリーエンジンはいろいろ誤解がありますが、マツダの専売特許でも、独自技術でもありませぬ。
実際、このエンジンはスズキの自社開発で、それ以前はヤマハなども実用化手前までその開発をやってました。イギリスのバイクメーカー、ノートンもロータリーエンジン車を発売してますしね。
ついでに自動車用では西ドイツの自動車メーカー、NSUが1964年にはすでにNSU スパイダーをシングルローターで発売、1967年にはツインローターのNSU Ro80を発売しています。日本のマツダ初のロータリーエンジン搭載車、コスモスポーツは1967年5月の発売ですから、NSUの方がずっと先を走ってたわけで、世界初でも唯一でも無いのです。
ちなみにコスモスポーツは「世界初の2ローターのロータリーエンジン搭載」というだけであり、同年10月にはRo80がツインローターを搭載して発売になってますから、これもわずかに5か月早かっただけで、それほどスゴイものじゃないんですよ。

といった感じで、まだまだ紹介してないものも多いのですが、この辺りが私の限界なので、市販二輪車編はここまでとします、はい。


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