ホンダが1985年9月、11年ぶりの軽自動車として発売したトゥデイ。550cc時代の軽自動車でホンダが唯一生産したのがこの初代トゥデイです。 エンジンは軽トラ(軽自動車と違い、こちらの生産は続いていた)用の545t、2気筒SOHC、31馬力のEH型を流用してます。 その特徴的な外観は当時から人気を集め、私が産まれて初めて購入して自分の車としたのもこれでした(5年落ちの中古車だったがどうしてもこれに乗ってみたかった)。ちなみにグッドデザイン賞まで受賞したオシャレスタイルな車ですがボンネットバン、つまり商用車の分類なのです。 おかげて4ナンバーとなり、税金や保険が安かったのを覚えてます。4年ほど乗って、さすがにこれ以上維持するにはメンテナンスに金がかかり過ぎる、という事で手放してしまったのですが、今思えば取っておけばよかなったあ、という気も。 しかもこの丸目タイプはわずか2年半しか生産されておらず、意外に貴重だったりします。やっぱり取っておけばよかったな。 この独特なスタイルは後にホンダの四輪R&Dセンターデザイン室の室長となる木越由和さんによるもの(ピニンファリーナのデザインという話が一時広まっていたがデマである)。新人時代の研修中の空き時間にデザインを始めており、ホンダの新車開発で初めて原寸大描画(レンダリング)の絵が描かれた車でもあるそうな。 ちなみに当時、ホンダに軽乗用車の開発計画は無く、社内の有志が集まって勝手に開発設計を開始、設計が完成したところで当時の社長(就任したての久米さんだと思われる)に直訴、開発が決定したのだとか。 この特徴的な低いライトの位置は本来は小さな角目のリトラクタブル式(初代NSXのようなタイプ)で上に飛び出す構造を予定したのが中止になり、丸目ライトに変更した上でそのまま沈んだ位置で固定となった結果らしいです。よって狙ってやったものじゃないんですが、カッコいいですよね。 ちなみにカッコよさの一因であるボンネットからフロントガラスの強い傾斜はフェラーリを意識してるそうで、フロントガラスの傾斜は308GTと同じ角度にしてあるとの事。すげえな、おい。ちなみにフロントの左右でシート幅が違うんですが、これはドライバーの安定性優先という発想かららしいです。これらは、そもそもはスポーティな軽として企画されたからなんですが先に見たようにエンジンが寂しいものになり、さらにそのデザインから結果的には女性に人気が出たようです。 個人的な思い出としては、当時仕事していた神田の編集部まで千葉の本八幡からこれで乗り込み(夜の神田周辺はゴーストタウンだったのでビルの前に平気で駐車できた)、夜中の3時くらいに仕事が終わったら半分寝ながら運転して帰る、なんてこともやってました。 ただし結局、一緒に仕事で残ってた連中全員を送って行く羽目になる事も多く、家に着いたら朝の7時とかの事もあったなあ。なにせ変な連中ばかりだったので1990年代でも免許を持ってるやつが編集部に3人しかいない、という状況で、結構、いろいろ運転させられた記憶が。あと、一人いた走り屋系のライターさんに運転させたら死ぬかと思うような走りをやられた事もあったなあ。31馬力の車なのに(笑)。 仕事が終わって帰るつもりが気がつけば新宿でオールナイトの映画見てたり(編集部の人間が4人ほどでルームシェアしてた部屋が新宿というか初台にあってその後、そこに押しかけて寝る)、そのまま深夜のラーメン屋めぐりになったりと(当時まだ都心部にあったフジテレビ、日本テレビ周辺には深夜営業のラーメン屋がいくつかあった)、変な思い出も多いです。 登山もやっていた頃であり、これで夜中の谷川岳に乗り込み、夜明け前には入山開始、とりあえず仮眠を…と思っていたら突然、産まれて初めて(であり最初で最後)の強烈な悪寒に襲われ、ガタガタ震えながらエンジンをかけてほうほうの体でロープウェイの駅まで逃げた事がありました。その後に谷川岳でどれだけの人が死んでるかを調べて見て、驚愕する事になります。 (わずか1997mのなんの変哲もない山ながら大事故があったわけでもないのに800人以上が死んでいる。単独の山として世界記録である。ゆえに人食い山なのだ)。 最後に、ダメ人間兼コックが車を貸せ、といったので黙って貸してやったら、当時つき合っていた後の奥さんとの初デートに使ったようで、今に至るまで、奥様からあの初デートにボロ車を貸したダメな旦那のダメな友人、というレッテルを貼られております。いや、いい車なんですけどね。非力ですけど。 そしてここの見学中に本人から20年数年ぶりにまた文句言われましたけど。 といったような想い出が見学中、走馬灯のように各馬一斉にスタートしておりました。 私が認定するカッコいい日本車3兄弟の末っ子、1991年発売のホンダ ビート(残りはトヨタのS800とマツダの初代コスモ ロータリークーペ)。 660t時代になってから出た2シーター軽。 ミッドエンジンだし、4輪ディスクブレーキだし、5速マニュアルだし、スポーツ車だといいたいところですが、エンジンは軽の自主規制限界、8100回転、64馬力が出るまで回せたものの、過給機なしだったのでトルクが6.1sfmしかなく、ちょっと非力でした(同時期のスズキの軽スポーツ カプチーノは同じ64馬力だが排気タービン搭載でトルクは8.7sfm、後期型では10.5sfm出た)。ちなみにこの車も運転席の方が助手席よりわずかに広くなっています。 デザインはイタリアのカロッツェリア(工業デザイン屋)、ピニンファリーナとされますが、私の知る限り未だに公表はされてないはず。後にホンダはシティターボ カブリオレでもピニンファリーナの力を借りてますが、この時はホンダ側でもかなり手を入れてるので、ビートもその辺りは微妙です。 後ろからもカッコいいです。 私も欲しくてしかたなかったのですが、新車で総額150万という価格は当時の新人社会人にはとても払える金額ではなく、さらに実用性無し、荷物すら置く場所が無い仕様は山登りをやっていた身には厳しく、結局、買わないまま終わりました。 一度、中古でかなり状態のいいものを紹介してもらったんですが、この時はすでに千葉の本八幡から東京に引っ越しを考えており、とても駐車場代が出ない、という事で見送り。 1996年までの約5年間に約3万4千台生産されており、この手の車としは数が多いので、老後に一台手に入れてレストアするくらいのブルジョワになりたいなと思ったり。 とりあえず、今回はここまで。ウフフ…ホンダの魔窟はまだ続くのよ… |