■そして残波岬へ



さて、そこから北上を開始して、今日の宿がある残波岬に向います。
途中の一帯は農地なんですが、妙に直線で、区画整理された地域が続くのは元米軍基地だからでしょう。

かつてこの一帯はボーロ ポイント(Bolo Point)、ボーロ航空基地と呼ばれていた場所でした。
読谷、嘉手納では手狭だと判断した米陸軍が、
読谷飛行場の北西部海岸線ににB-29用の大型航空基地として新たに建築した基地の跡地なのです。

B-29用に当時としては長大な7500フィート滑走路(約2.3q)を持っており、
これは嘉手納、那覇と並んで沖縄で最大の滑走路でした。
ただしその本格運用前に日本が降伏してしまったため、結局1946年まで輸送機基地として使われてオシマイになります。

が、その後も米軍は接収を続け、資材置き場や予備飛行場としていたようですが
沖縄が日本に返還された翌年、1973年から順次民間に返還され始め(1976年にほぼ全て返還)、
その後、1980年代に入ってからこういった農地整備が始まったようです。



さて、その一帯を走っていると、サトウキビ畑の向こうに忽然と巨大な建築物が出現する。
一瞬、キツネに化かされてるのかと思う。イヤ、沖縄にキツネ居ないし、と思う。
じゃあタヌキ?いや、 タヌキも沖縄には居ないはず。

………マングース?



だって、周辺の景色ってこれですぜ。



でもってあの農地の先にこれでヤンス。
が、これが本日の宿なのでした。

残波岬という名前を最初に聞いた時、ドラゴンボールの必殺技のような名前だな、
と思ったんですが、そこに建っていたホテルは地球防衛軍本部のような建物でした。
産まれて初めてのリゾートホテルは、なるほど、手ごわそうだと思う。

ちなみにこの一帯も元米軍の占有地なんですが基地ではなく、実弾射撃場の訓練地域、
いわゆる残波射爆場として使われていた一帯です。
ここも1973年ごろに返還されたので、その跡地にリゾートホテルが建っている事になります。
スゴイ立地ですね…
おそらく何らかの官民合同の再開発計画があってのリゾート化だと思いますが、詳細は知りませぬ。



とりあえず、駐車場に車を停める。
名前を見るとRoyal Hotel 沖縄残波岬だそうな。
ロイヤルって事は琉球王朝の血を引く方が経営してるのか、と思ったら、
そういう名前のチェーン系ホテルらしいです。
贅沢するぜ、盛大にやるぜ、って意味のロイアル?
なんか成金趣味っぽくていい印象の無い英語の形容詞ですけど、いいのか、それで。

ちなみに上の写真と併せて見れば気が付く人は気が付くと思いすが、
建物の中央にエレベータがあり、そこからYの字形に三つの棟が配置されてる構造です。
…これって刑務所でよくある構造だなあ…と思う。

ロイアルな刑務所、というのが私の第一印象でした、はい。

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