■琉球の行きどまり

というわけで、今回のお話はこれだ。



「…石碑?」

琉球王朝以降の沖縄は確かに中華文化圏だったんだ、という証拠、
石敢當、せきかんとう、だよ。現物は初めて見た。

「なんなの、これ」

台湾旅行記でも少し触れたが、中国の宗教はオマジナイと呪詛の道教だ。
その道教では魔物は直進しかできない、とされてるので、
行きどまりの道、T字路の壁、Y字路の分岐などでは魔物がそこに溜まってしまう事になる。
なので、そういった行きどまりの場所には魔除けを置くんだ。
台湾では八卦炉などのお札や、鏡が置かれてるのが多かったけど、沖縄だとこれ、石敢當になる。

「沖縄独自の文化?」

いや、私は現物を見てないけど、中国本土や台湾にもあるものだ。
前にも紹介した窪 徳忠さんの道教関係の古典、「道教の神々」によると、
福建州や福州において8世紀ごろから石敢當はあったそうだ。

ただしもともとはこういった行きどまりの魔除けではなく、単なる除災招福のための
一種のお守りみたいなものだったらしい。
行きどまりのお守りになったのは、15〜16世紀ごろ以降とされる。
沖縄でもっとも古い石敢當は17世紀ごろのモノらしいので、意外に早くから入ってたんだろう。

ちなみにこれ、中国の人が持ち込んだのか、意外に日本全国にもあって、
都内にもあるし(私は未見)、北限は北海道の函館らしい。

「へー」



近代建築もこれがあったりするんだけど、一部は形骸化していて、
行きどまりでもなんでもない場所にも置かれてた。
これなんか定礎の石代わりに埋め込まれたんじゃないの、といった感じだしね。

「へー」



例の那覇の焼き物街にもこれがあった。
キチンとY字路の分岐にあり、雰囲気からしてそれなりに年季の入った物だろう。
上にはシーサーとはまたちょっと違った置物があって、これも興味深かったんだけど、
こういった魔除けの呪いの横に守り神のような鬼神を置くのも中国式だ。
琉球は単なる朝貢だけでなく、相当日常生活レベルで中国文化、
特に明の時代の影響下にあったんじゃないかなあ。

「へー」

といった感じで、今回はここまでだ。

「…まともだね」

当たり前だ、私は常にまともな話しかしないよ。

「さいですか」


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