■沖縄という土地



では、今回訪問した沖縄本島について少し確認しておきます。
ざっと南北で100q程、東西には平均10q前後という細長い島となっており、南のサンゴ礁の島、
という印象に反して、意外に山がちで、大きな平野部はシマの南半分、読谷(ヨミタン)から那覇辺りに限られます。

山がちと言ってもせいぜい標高500mなんですが(それでも千葉県よりは高いのだけど)、
火山も無い地域で、なんでこんな起伏にとんだ島が…という疑問は残ります。
この点については、日本本土と同じく、かつては中国の大陸部と陸続きだったのが
海面の上昇によって水没で島になったから、という説が生物分布の状態から唱えられており、
おそらくこれが正しいように思われます。

ただしもともと強固な岩盤を持つのは北部の山間部に限られます。
平野部である読谷周辺から南はサンゴ礁由来の石灰系の岩盤を持つ土地となっており、この辺りは南の島らしい部分です。
こういった地形から、山がちの北部にはあまり大きな集落は無く、
平野部で米軍基地も集中し経済的に発展した島の南部に大きな街は集中してます。
その代わり、開発が遅れた北部は自然が残っており、今では一大リゾート地になってしまったわけです。

また、南国ビーチの島というイメージに反して
沖縄本島、特に北部には広い浜辺が少なく、多くが断崖になっています。
南部にはそれなりに浜辺があるのですが、それでもコマ切れ状態になっており、
唯一の例外が読谷から南の宜野湾周辺となります。
このため第二次大戦にアメリカ軍が沖縄唯一のこの広い浜辺に殺到する事になるのです。
(上陸地点にはサンゴ礁の問題もあったのだが、この点はまた後で)



北部は山がちで緑の多い一帯が広がっています。
人口密度も低めですが、いわゆるリゾート系ホテルが多いのも残波岬から北の一帯になります。
写真は今帰陣(ナキジン)上空の辺り。



対して南部の平野部はかなりの都市化が進んでます。
写真の右が北で中央奥の辺りが那覇。
沖縄は県全体でも145万人前後と川崎市や京都市とかろうじて同じくらいの人口に過ぎないのですが、
那覇市の人口密度は約7900人/㎢以上で、これは首都圏、京阪神圏の都市圏に匹敵する高密度になっています。
(横浜が約8500人/㎢、東大阪市が約8000人/㎢)
実際、那覇市内の都市度は意外に高く、わずか人口30万人の都市とは思えないものがありました。
ちなみに周辺の浦添市、豊見城(トミグスク)市を合わせても50万人前後に過ぎず、
この人口で、あれだけの都市密度と巨大な空港を維持している、という不思議な地域になっています。
ただし鉄道が無いので、散漫とした、ここが都市の真ん中、という地区がほぼ無い、
日本の都市としてはやや不思議な街でもありました。
(現状、那覇市内だけをモノレールが東西に走ってるが、あくまで短距離交通に過ぎない)

ちなみに沖縄県の年間入域観光客数は今年2018年は1000万人を超える可能性があるそうで、
総人口の7倍近い人間が訪問してる、というスゴイ地域でもあります。
ついでに、これはハワイ州の年間入域観光客数(約940万人)を超えており、やはりスゴイという他ないでしょう。
那覇の賑わいは常に多くの観光客が支えてるから、という事なのかもしれません。



那覇の中心部は思った以上に都会でアーケード商店街まであり、ちょっと驚きました。

さらに人口に含まれない人たち、アメリカ軍の軍人さんも沖縄全島で25000人、
ちょっとした地方都市が形成できる人数が住んでます。
実際、その最大の基地、嘉手納空軍基地を旅行中に訪問したのですが、
事実上アメリカの街が一つ丸ごとそこに形成されていて、アメリカ軍の意外な能力に驚く事になります。



とりあえず、今回の行動範囲を図にするとこんな感じになります。

夕撃旅団本部は本島平野部の北端に位置する残波(ザンパ)岬に進出、4日間、ここを動きませんでした。
ここはかつてのアメリカ軍上陸地点の北端部でもあり、戦後は米軍の射爆訓練場があった場所です。
距離にすると那覇からせいぜい30qなのですが、鉄道が無い沖縄では車の移動しか無く、
渋滞も多いため、移動には1時間以上がかかりました。
都市部を拠点とする事が多い夕撃旅団がここに本部を構えたのは、
同行の地雷映画男の推薦と、観光予定地がこの周辺に集中していたからです。
ちなみに筆者としては産まれて初めてのリゾートホテル滞在となりました。

滞在中の進出最北端は2000年のG8サミット会場となった部瀬名(ブセナ)岬、
最南端は那覇飛行場の一帯に設けられていた旧日本海軍の沖縄本部壕(現在は豊見城(とよみぐすく)市)までで、
約50q前後の幅に渡って4日間の観光を展開する事になります。
この辺りはまた本編で。



今回の旅行の拠点となったサトウキビ畑と原野の中に忽然と建つ築30年のリゾートホテル。
最初、サトウキビ畑の中からこの建物がニュッと現れたのを見た時は、
ひょっとしてキツネに化かされてるんじゃないだろうか、と思いました。
後にこんな場所にリゾートホテルを建てようと思った人間は天才か底抜けのマヌケかどちらかだろう、と思いました。
が、そんな筆者の感想とは裏腹に、観光シーズンから完全に外れながらも
500室近くある部屋の6割以上の部屋が稼働してたので、たいしたものでしょう。
その代わり修学旅行生だらけで、おじさん、ロビーや売店で浮いてしまって悲しかったですが。

といった感じで、次回から旅行記本編のスタートです。




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