■そしてイギリスのバカ



こちらが南側の中庭。
これもシャー・ジャハンが建てたもので、夏用の宮殿のものなんだとか。
同じ建物の中で避暑したの?と思うもよく判らず。
こちらにも劇場のような建物が見えてますね。



最後は、この大きな公会堂に出ます。
The hall of public audience との事なんですが、これが民衆向けの講堂なのか、劇場なのか、
そもそもこの宮殿の中にまで一般人が入れたのか、さっぱり判りません。

何かの式典とかで王族以外の人間が招かれたらここまで入って来れる、とかでしょうか。



でもってここにデーンと置かれてるのが、イギリス人がいかにバカか、という象徴の一つ、
ジョン ラッセル コルヴィン(John Russell Colvin)のお墓。

インド北西部の副総督だったイギリス人で、
1857年のインド大反乱(いわゆるセポイの乱)に巻き込まれて死亡した人物です。
イギリス人のインド支配で大きな役割を果たしたコルビン一族の一人でもあります。
植民地の役人としては、あまり評判はよく無かったようです。

ただそれだけの人物で、反乱時に脆弱な部隊しか無かったここアーグラに居て殺され、
その結果、反乱鎮圧後、このアーグラ城のど真ん中に、
趣味の悪いこんな墓を造って祀られたのでした。

植民地の文明遺産のど真ん中に、反乱で死亡した副総督の墓を造るイギリス人の神経もスゴイですが、
これを取っておくインド人もまたスゴイな、と思う。
中国や朝鮮半島だったら、真っ先に破壊されてるでしょうに。



そんなわけでイギリス統治時代は、ここもイギリス軍の駐屯地でした。
これはその時代の大砲。イギリスの大砲、としか書かれてなかったので詳細不明ですが。



といった辺りで見学できる部分はほぼ全て見ました。
いやはや、すごかった。ムガール帝国、思った以上にレベル高いなあ、と思う。



城を出るとサルの群れ。
これは小川の上に造られたフタの上なんですが、30度を超える昼間のコンクリートの上、暑くないの?

といった疑問を感じつつ、今回はここまで。
そして次回、おそらくいよいよ最終回です。


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