■ミナールはソユーズのようだった
さて、ミナールの下に来ました。
やはり巨大ですね。
ここもかつては中に入れたらしいのですが、1981年末に内部停電が発生、
パニックになった見学客が一階に殺到して45人が死亡、しかも大半が子供だった
という惨劇になってしまったため、以後、一般客の見学は禁止になったとの事。
なんとも独特の建築様式で、なんかロシアのソユーズロケットみたいと思う。
アフガニスタンあたりだとよくみる様式らしいんですけどね。
その横に白っぽい建物が残ってました。
アライ ダーワザ(Alai
Darwaza)と呼ばれるこの寺院の南側の正門だそうな。
となると北側にも現存してない正門があったんでしょうかね。
1311年ごろの建設らしいので、クトゥブ ミナールより100年後の建物となります。
…となると、例のアライ ミナールと同世代ですから、アライってのは
当時のサルタン、アラーウッディン ハルジーの愛称かなんかでしょうか。
さて、そんな感じで一通りの見学が終わったので、出口へと向かいましょうか。
出口付近にあった謎のピラミッド。
一切説明がなく、なんだかは不明です。
こちらには円形状のピラミッドが。
なんかの墳墓ですかね。
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