■オウムの居る墓所



お墓でした。
イスラム系の墳墓は初めてみましたが、なんかヨーロッパっぽいな。

ここを造ったトルコ系のマムルク王朝の三代目スルタン、
トゥトゥミシュ(Shams ud-Din Iltutmish)の墓で1235年、
本人が生存中に造られたものだそうな(ちなみに完成の翌年死亡)。

この人はマムルク王朝、さらにはそれ以降も続いた各スルタン王朝の中でも、
領土拡大などで最も活躍した一人らしいです。
ちなみにクトゥブ ミナールはこのスルタンの治世中に完成したんだとか。
それにしては地味なので、スルタン王朝の財力の限界なのか、
イスラム系の王はそれほど墓にはこだわりが無いのか。



上が円形に抜けてるので、これ、元は上にドームがあったはず。
帰国後に確認したところ、完成後200年ほどで天井ドームが落ちてしまい、
以後、再建されなかったのだとか。

よく見ると奥の壁の上の方に緑の点が見えますが、あれはオウムです。



南西の奥には例のメッカの方向、キプラを示す壁があり。
ここが礼拝堂を兼ねていたのか、本人が死してなおメッカに祈とうという事なのか、よく判りませんが。



そこを出てまたしばらく廃墟巡りを。



その先にまた少し原型を維持してる(修復はされてると思うが)建物が。
ここはマドラサ、イスラム学校の跡らしいです。
マドラサもいろいろあるんですが、ここは場所的にイスラム教の宗教学校と考えるべきでしょう。

ちなみに後にここにもスルタンの一人がお墓を造って埋葬されたそうな。
学校のど真ん中にお墓って、どういう感覚だと思ってしまいますが、
そういうやアメリカのスミソニアン協会本部にはスミソニアンの遺体入りのお墓がありましたね。
西洋とイスラムの世界ではそんな変な話じゃないのかなあ。

…夜中に忘れ物取りに行く羽目になったらやだなあ、こんな学校。


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