■ミナールはデカかった
さて、ではいよいよ遺跡の中へ。
そこそこキレイに整備されていて、少なくともタイのアユタヤあたりよりは観光地っぽいです。
ちなみにここは世界遺産の一つ。
これまで私が見て来た世界遺産はイマイチなものばかり(日本は例外的にアタリが多いが)
よって世界遺産にロクなものなし、が私の経験則だったんですが、
インドは例外で、この国の世界遺産は見る価値があるもの、多かったです。
ギリシャ・ローマ風というかガンダーラ風のような建築があって驚く。
インド北西部、今のパキスタン周辺あたりは
アレクサンダー大王が遠征して来て一時支配下に置いたこともあり、
ギリシャの強い影響を受けたガンダーラ美術を残しました。
(言うまでもなく三蔵法師の憧れのガンダーラであり仏教の盛んな地域だったため、
ギリシャ風の仏像が次々に造られる事になる)
ただし紀元2世紀から3世紀にはペルシャのクシャーン朝の配下に入ったため、
ガンダーラ美術は衰退がはじまっており、
12世紀ごろの建立とされるこの施設の時代にはとっくに滅亡していたはず。
それ以前からあった建物なのかも知れませんが、解説も無くよく判らず。
入り口横の芝生広場で地面を掘り返してました。
塹壕でも掘ってるのかと思いましたが、よく判らず。
少なくとも芝生の植え替えとかそういったものではありませんでした。
おお、見えて来ました。
あれがクトゥブ ミナールですね。
あ、かなりでかいな。
テッペンまでの高さが73mあり、イスラム建築の塔、ミナールとしては世界最高を誇ります。
本来はこの一帯がイスラムの寺院、マスジドだったのですが、
現在はほぼ廃墟になってしまっていて、このミナールと数件の建物だけが生き残っています。
ただし、寺院跡全体をひとまとめとして1993年に世界遺産に登録されてしまったため、
現在はクトゥブ遺跡群(Qutub
Minar
complex)という呼び方もされてるようです。
1192年ごろ、このマスジドの建設が始まり、このミナールも同時期に建設が始まったと見られます。
完成は1220年代前後と考えられるので、少なくとも20年以上、かかったんでしょうね。
とりあえず日本で言ったら鎌倉時代にこんな巨大な塔の建築を行っていたわけです。
ちなみに建設当初はさらに高かった、という話もあるんですが、14世紀中ごろに落雷、
16世紀初等には地震によってそれぞれ被害を受け、従来より低い形に修復されたと言われてるようです。
ちなみにこの寺院は12世紀の建立ですから、当然、ムガール帝国以前の建設で、
この一帯をイスラム勢力が支配し始めた時代に建てられたモノとなります。
解説などを見るとインド北部を支配したイスラム国家マムルク王朝の初代スルタン(王)、
アイバクによって建てられた、とされるんですが、マムルク王朝の建立は1206年なので
建設開始は10年以上、数字がズレてしまうことになります(笑)。
あるいはアイバクは王朝成立前から一帯の実力者で、
こういったイスラム寺院を建立した可能性もありますが、
キチンとした説明が見つからんので、まあ、謎としておきましょう(手抜き)
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