■イギリス時代の終わり



デ・ハビランド ヴァンパイア。
これもサブタイプの記述が無いんですが、FB.52だと思います。
ただしこの機体の型番判別に私はそこまで自信が無いので確証は無し。
展示位置が微妙で、こんな写真しか撮れませんでした…

インド独立の翌年、1948年から配備が始まった機体。
テンペストII、スピットと一時平行運用されながらも、
初期のインド空軍主力機だったと考えてよく、練習型、偵察型など
全部併せて480機以上を装備、複座練習型のT-55なんて1984年まで飛んでました。

ここまでヴァンパイア装備したのはイギリス本国以外だとインド空軍だけでしょう。
これは日本の自衛隊が配備していたF-86F(435機)とほぼ同じ規模であり、
国土の広さが違うとはいえ、インド空軍の規模が意外にスゴイ、というのが判るかと。



ホーカーハンターF.56かFGA56のどちらか。
1951年初飛行の戦後世代のイギリスジェット機で、インドでは1957年から運用されています。
とりあえず、この世代辺りまではインド空軍の主力はイギリス機だったのでした。
(次に見るナットとほぼ同時に平行運用)
以後はソ連機の時代となり、ミグ21が大量採用される事になって行きます。

当時はアメリカとラブラブ状態だった
インドの宿敵パキスタン(同じイギリス領インドながらイスラム教徒が別に造った独立国家)が
当時の最新鋭機、F-86セイバーを供与されたのに対抗して導入した機体です。
全部で260機前後の配備となり、こちらは一部が1996年まで現役でした。

でもってインド空軍のハンターはかなりの実戦経験を持ちます。
最初は1962年の中国との国境紛争、中印国境戦争に投入されました。
この時は地上戦で中国に完敗するのですが、航空戦ではインドが優勢だった、という説が有力です。
さらにその直後、1965年からの第二次インド パキスタン戦争にも投入され、
この時はパキスタンのF-86、F-104と戦いました。
この戦争に関しては、インド(35機損失73機撃墜)、パキスタン(19機損失104機撃墜)ともに
航空戦の勝利を宣言してるのですが、詳細はよく判りません。
どうも両者互角だった、という辺りが真相のような気がします。

ちなみにこれらの戦争を通じてインドは核兵器開発に走り、
先に配備を完了していた中国、その後配備したパキスタンと併せ、
陸上で国境を接した仲の悪い、そして冷静とは言い難い三か国が核兵器を保有する、
という極めて心臓に悪い一帯となってしまうのでした…。



フォランド(後にホーカーシドレー) ナット(Gnat)。
インド空軍では1958年から採用、ハンターと並んで主力戦闘機だったと思っていいです。

そもそもはイギリス製の小型ジェット機で、
あまりに小型でイギリス空軍は採用を見送った戦闘機でした。
(ただし後に練習機として採用、さらに空軍のアクロバットチームであるレッドアローズが使用)
これをインド空軍が採用し、後に国内でライセンス生産までやって
250機近く配備していたようです(内230機前後がインド製らしい)。
さらにこれをインド独自に改良したアジート(Ajeet)という機体まで開発、こちらは80機ほど生産されてます。

この機体、中国との戦争への投入は確認できないのですが、パキスタンとの戦争、
1965年(第二次)、1971年(第三次)に投入され、セイバーを何機か撃墜した、とされます。
まあ、世代的にはこっちの方が一世代新しいですしね。

でもって右側の黄金像はインドでは有名らしい空の英雄、シクホンさん(Nirmaljit Singh Sekhon)。
1971年の第三次印パ戦争においてパキスタン空軍のF-86セイバーがインド空軍の
シュリーナガル基地を奇襲した時、緊急出撃してこれを迎撃、内2機を撃墜し、
その後自らも撃墜されて殉職したパイロットです。
この時の活躍により空軍パイロットで唯一人、軍の最高勲章である
Param Vir Chakra 勲章(パラム ヴィー チャクラ?読めません…)を授与されたのだそうな。

ちなみに、ご覧のようにシク教徒の人なんですが、シク教徒はターバンが必須ですから、
ヘルメットはどうしてたんでしょうね、と現地でkobikkyさんと話をする。
帰国後調べて見たら、パイロット用の簡易ターバンのようなモノを付け、
その上からヘルメットを付けてるみたいです。


---追記----

記事掲載後、読者の方から改良型のアジートの方ではないか、との指摘を受けました。
確認して見たところ、確かにその通りなので修正いたします。
ちなみにシクホンさんはナットに乗ってたはずなので、
展示の機体とは別じゃん、という事になります…



ちょっと時代が戻って、この博物館の目玉展示の一つ、ホーカー テンペスト Mk.II。
スピットファイアと並んで、独立直後の主力戦闘機だった機体で、230機近くを配備してました。
この機体は保存状態もそれほど悪くありません。
結構、現存機があるMk.IIですが、普通に博物館で見れるのはロンドンのRAF博物館と、
ここだけなので、意外に貴重な機体かもしれません。

カッコいい機体なんですが、実際はトラブルだらけで失敗作に近い機体でもあり、
その結果、イギリス空軍はこれを日本陸軍相手の機体として大戦中にインドに大量に送り込んでいます。
さらに戦後も本国で不要になった機体をインド、香港に配備してました。
どうもインド空軍の機体は、独立時にこれらを引き継いだものらしいです。
ちなみに同じ理由でパキスタン空軍もこの機体を独立直後に配備してました。



なぜかここに展示されてた日本の特攻機、桜花。
弾頭部は全くの別物、この博物館で適当に造ってしまったダミーで資料性はゼロですが、
主翼から後ろはホンモノみたいです。
なんでこれがインドにあるのかは、全く判りません。


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