■チョー音速で行くぜ
ロッキードYF-12A。
マッハ3を超える高高度&高速戦闘機として、開発された機体で、1963年8月に初飛行してます。
ソ連から飛んでくる超音速爆撃機を迎え撃つための迎撃機で、武装はミサイルのみです。
で、見れば分かるように、このYF-12はSR-71ブラックバード偵察機の系列で、
どちらも高速偵察機A-12から発展開発された機体となってます。
開発された順から行くと、A-12偵察機、それの戦闘機型であるこのYF-12、
そしてそれを複座にして偵察機に戻したSR-71という形になるのですが、この辺りの関係は錯綜しており、
どれがどの機体の基になったとは簡単には断言できない部分があったりします。
とりあえず世界初のマッハ3級高速偵察機A-12(単座)があり、
それをいろいろ改修して戦闘機にしたのがこのYF-12、
それを複座にして偵察能力を強化したのがSR-71と思っておけばほぼ間違いでは無いでしょう。
YF-12は一定の性能を示したらしいのですが、残念ながらすでにICBMの時代でありました。
ソ連が超音速爆撃機で来る可能性がゼロでは意味が無く、
さらにベトナム戦争の激化で国防予算が圧迫された結果、採用はキャンセルとなりました。
A-12、SR-71との違いは機首先端部の“張り出し”が消えてる事でその理由はよくわかりませぬ。
SR-71のあの部分はレーダー反射を抑えるためのもの、とも言われてるので、
国内で迎撃任務に就く機体では不要、と判断されて外されたのか、
あるいは機首部にレーダーなどの電子機材を積むために形状変更したか、
そのどちらかじゃないか、と推測してますが、断言はできませぬ。
展示の機体は全部で3機造られた内の2号機で、唯一の現存機となってます。
ちなみに1979年、自力でこの博物館まで飛んできたんだそうな。
超高速無人偵察機、ロッキードD-21B。
1969年からわずか4回のみ運用されたマッハ3クラスの無人偵察機です。
同じマッハ3クラスでも、有人のA-12やSR-71より安全に偵察できる、という事で計画されたようですが。
が、さすがに1960年代の技術でマッハ3の偵察機をソ連、中国の上空へ飛ばし、
さらに無事帰還させる、という運用は無理があったようで、
わずか4回だけ運用されたものの、まともに成功することなく、計画は打ち切られてます。
(ちなみに墜落した機体の一機が中国で回収され、博物館で展示されてる)
この機体のほとんどはエンジンなんですが、SR-71やYF-12の
エンジン部だけを切り取ったような形状から判るように、これはラムジェットエンジンです。
ラムジェット、詰め込み式ジェットエンジンは、超音速飛行で機体前面に生じる衝撃波を利用し
圧縮タービンなしで空気を圧縮、いきなり燃焼室に取り込んでしまう、という簡易ジェットエンジンで、
超音速で飛んでる限り稼働し続ける、というモノになってます。
原理は簡単で、衝撃波の背後に生じる高温、高圧の圧縮空気をそのまま取り込むことで、
圧縮用の多段タービンなしでいきなり十分な高温圧縮空気を確保する、という構造です。
先端部にあるコーン(円錐)の先で衝撃波を発生させ、それを後部の隙間からエンジン内部に取り込んでます。
もっとも面倒な多段タービン部が無い、というか燃焼室さえあればジェットエンジンになってしまうため、
単純かつ極めて軽量に製造が可能という夢のジェットエンジンなんですが、
あくまでマッハ1.5以上あたりの超音速飛行による衝撃波の発生が前提です。
このため当初はA-12の改造機、M-21(複座にしてD-21発射装置を背面に搭載した)で
音速まで加速、その後で空中発射する予定でした。
ところが衝撃波壁の背後でまともに切り離しは困難で、
四回目の実験で発射機を巻き込んで墜落してしまう、という事故を起こしてしまいます。
この時、パイロットは2名とも脱出したものの、海上だったため、1名が溺死する悲劇となりました。
以後はより安全に、B-52の主翼下に搭載、というある意味お馴染みの運用になるのですが、
B-52ではとても速度が足りないので、加速用のロケットブースターを付けて発射に変更されてます。
まあ、そこまでやっても結局、使い物にならなかったんですけどね…
ちなみに無尾翼のダブルデルタ機(コンコルドの主翼に近い)なんですが、
よく見るとわずかにワープ翼構造になっており、音速だけの運用が前提でも、この構造、必要なんだと驚く。
となると音速以下の飛行での抵抗低下以外にも効果があた、という可能性が出て来ますが、
何度も書いてるように、この辺りはよく判らないのでパス(手抜き)。
フェアチャイルド
XSM-73 ブル グース。
ブル グースは鴨猟に使うオトリ模型の事らしいです。
その名の通りの、オトリ用無人ミサイルで、敵のレーダーかく乱を目的に開発されたもの。
ただし冷戦の館で見たGAM-72クゥイルと違ってこの機体は爆撃の編隊と一緒に自力で離陸、
目的地まで一緒に飛んでゆく、というタイプでした。
巨大なレーダー反射で敵のレーダーには爆撃機に見える、という以外にも
電子妨害装置を搭載、電子戦も担当する、という意欲的な内容の機体だったようです。
ただし1957年開発開始では技術的に無理が多すぎ、全く実用化のめどが立たぬまま、
速攻で計画はキャンセルとなってしまいました。
ちなみに主翼はファイバーグラス樹脂製で、この手の新素材を使った最初の機体の一つでもあるそうな。
はい、といった感じで、今回はここまで。
今回はオマケコーナーはお休みとさせてください。
予定では次回でなんとか空軍博物館編を終わらせられる…はずです。
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