■大型機編 その2



お次は輸送機、ダグラスC-47Dスカイトレイン。

いわずと知れた傑作旅客機DC-3の軍用版。
グーニーバード(Gooney bird)の非公式の愛称もあり、こっちの方が通りがいいかも。
なんでアホウドリ、という感じですが、日本語の語感とちがって英語圏における
Gooney bird=Albatrossは The most legendary of all birds、もっとも伝説的な扱いの鳥、なんだそうで、
伝説級の傑作機、といった意味らしいです。

実際、その活躍によってアメリカ軍、特にヨーロッパ方面軍の兵站と補給は支えられており、
後にアイゼンハワー将軍がアメリカ軍の勝利の鍵となった四大装備(Four Tools for Victory)
の一つとして、このC-47を上げています。
(ちなみに残りの三つはジープ、原爆、そしてバズーカ砲。
アイゼンハワーはあくまでヨーロッパの陸戦担当であり、
戦略爆撃も太平洋戦線も眼中にないのでいきなり原爆になってるのに注意(笑)。
シャーマン戦車でなはくバズーカ砲なのも興味深い)

第二次大戦が始まった後、1940年から軍用型の生産が始まるのですが、
最終的には9300機以上がアメリカ陸軍に、さらにイギリス空軍への供与などを合わせると
1万機を超える機体がC-47として生産されました。
これらは輸送機だけでなく、空挺部隊の降下機、グライダーの曳航機としても使われてます。
アメリカの空の軍馬、という感じの機体ですね。
この軍用のC-47が戦後、大量に民間に払い下げられ、旅客航空の発展に大きく貢献してもいます。

ちなみに戦後もアメリカ空軍では現役で、朝鮮戦争どころか一部はベトナム戦争時代まで生き残ってました。
展示の機体はアメリ空軍で最後に引退したC-47で、1975年に自力でこの博物館まで飛んできたそうな。
ちなみに展示機の塗装はノルマンディー上陸戦の空挺部隊用のものですから、全く時代があいませぬ(笑)。
(D型は本来、戦後になってエンジンを強化した型)



そんなC-47が曳航したグライダー、ワコ(Waco) CG-4A。
兵員、貨物の運搬に使われたもので12000機以上が製造されており、隠れた主要米軍機の一つかもしれません。
金属と木を組み合わせた骨組みに羽生張り、という単純な構造ながら、ジープくらいまでなら普通に運べました。
この機体の一番晴れ舞台は当然、ノルマンディー上陸作戦で、空挺部隊が使ったものでしょう。

展示の機体はレプリカかと思ったら1945年に生産された本物だそうです。
といっても羽生とかはさすがに貼りなおしてると思いますが。



カーチスC-46D コマンド。
戦後、日本の航空自衛隊にも供与されたため、日本の各地で展示が見れる輸送機でもありますが、
あまり評判の良い機体ではなかった輸送機です(笑)。

ちなみに私は長年、最初から軍用輸送機として開発された機体と思い込んでましたが、
どうやらこれも最初は民間機として開発され、戦争によって1940年から軍用型の生産が始まった物らしいです。
C-47に比べると地味で、アメリカ軍向けに3100機前後が造られただけ、イギリス空軍はその供与を受けてません。
搭載量だけならC-47より倍近く大きいのですが、なにせ事故が多い機体で、あまりいい評判は残ってないですね。
カーチスの惨劇(Curtiss Calamity)とまで呼ばれていたそうな。
海軍のヘルダイバーと言い、アメリカ軍の最大の敵は、実はカーチスなんじゃないか、という気もします(笑)。

展示の機体は、中国方面の対日戦のため、インド東部(現在のバングラディッシュ)から
東側にあるヒマラヤの東端部を超えて中国まで飛ぶ補給活動、いわゆる峠超え(Over the Hump)任務で
使用されていたもので、戦後は1968年までパナマで民間機として使われていたそうな。
この博物館には1972年に自力で飛んできた、との事。



言わずと知れたB-29。
アメリカ参戦後の1942年に初飛行した機体で、1944年夏からようやく実戦配備が進んだため、
もはやドイツ相手には出番が無く、対日戦にのみ投入されました。
それと同時にベラボーに高価な機体(B-17の約2.5倍以上)となってしまったので、3900機前後と
アメリカの重爆撃の中では少なめの生産で終わりました。
ただし最終的には朝鮮戦争まで参加してます。

ちなみに生産途中で主翼回りにいくつかの修正が入った機体がなぜかA型とされたため、
最初の生産型は無印のただのB-29となっています。
後にもう少し全体に修正が入ったB型が登場するのですが、これはそれほど生産されてないようです。
(さらに後にエンジン強化された機体はB-50となった)

日本人にとって都市爆撃と言えばこの機体ですが、ヨーロッパ戦線では全く使われてないため、
イマイチ、アメリカでは人気が無く、よって現存する機体は少なく、意外に貴重だったりします。
(他にもあのドイツ相手に勝ったP-51とP-47、というとアメリカ人は素直に誇りを持つが、
日本相手に勝ったF-6FとF-4Uと聞いても、そりゃ勝つだろうよ、程度にしか受け取らない場合が多い)

陸軍のボンバーマフィアのボスにして、陸軍航空軍の一番偉い人、
“ハップ”アーノルド将軍の執念が生んだ機体ともいえ、1942年9月に初飛行後、
数々のトラブルに見舞われながら、最終的に実戦投入まで間に合わせてしまった機体です。
ただしエンジンのR-3350を始め、配備後もトラブルが絶えず、
当時の関係者の手記を見ると、離陸直後に爆発とか、スゴイ話がバンバン出て来ます。
それらの搭乗員はアーノルドの妄執によって、殺されたと言ってもいいでしょう。

ちなみに飛行高度はB-17やB-24とそれほど変わりませんが、一切開放窓が無く、
これすなわち完全に密閉された与圧胴体を持つ機体でした。
このため胴体上の銃座は人が中に入らないリモコン式で、そういった意味でも先進の機体でした。
(尾部銃座も一種のリモコンなのだが、こちらは与圧部の外なので直ぐ上にガラス窓のある銃座があった)
さらに一目で判る、余計な凸凹の無いスマートな胴体が空力性能を上げており、
エンジンの強化も加わってその重量増にも拘わらず、B-17に比べると80km/h以上も高速でした。

でもってここの展示はボックスカー、すなわち長崎に原爆を落とした機体だったりします。
アメリカを代表するもう一つの航空博物館、スミソニアンの航空宇宙別館にあったのは
広島に原爆を落としたエノラ ゲイで、この辺りは戦後の戦略爆撃空軍、
つまり核兵器の力で世界を支配する、という戦後空軍のスタイルの基礎を築いた機体、といった点が
その保存に繋がったような気もしますね。

ベトナムの悪夢で目が覚めるまで、アメリカ空軍は徹頭徹尾戦略空軍、
すなわち核兵器を運用する軍隊でしたから、その象徴なのでしょう。
確実に間違えた道であり、何度も書いてるように、その悪夢でアメリカ陸軍は
ベトナムで崩壊状態に直面する事になるわけですが。

とりあえず、日本人としては複雑な感情もありますが、ここは純粋に技術的、
航空史的な観点から、単なるB-29として捕らえる事にしておきましょう。


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