■当然、機体も進化する



ここからはこの時期にアメリカ陸軍が使っていた機体を並べて行きます。

まずはエヴェーハート SE-5E。
第一次大戦期のイギリス戦闘機、SE-5Aをアメリカでライセンス生産した機体。
といっても部品はイギリスから持ち込んで組み立てだけをやったみたいですが。
終戦後に導入されたものの、さすがに時代遅れで、練習機として利用されたみたいです。
ちなみにこの機体は個人からの寄贈らしいですが、1925年には展示が始まってた、という事なので、
この博物館の最も初期の所有機の一つでしょう。



コンソリデ―テッド PT-1練習機。
アメリカ国産の練習機で、1925年から採用され、1930年代まで現役だったとか。
パッと見、特に見るべきものが無い機体のように見えますが、
当時の練習機としては異例らしい、最新のクロムモリブデン鋼(剛性が高い)の
骨組みで機体が造られ、その上から羽布を貼ったものだそうな。
ただし主翼は木製のまま。
221機と、予算不足のこの時代にしてはそれなりの数が配備されてます。

…しかし、なんぼ練習機とはいえ、このラジエター配置、もう少しなんとかならんかったのか…



カーチスP-6Eホーク。
数あるカーチスのホークシリーズのおそらく二代目あたりの戦闘機。
(初代はカーチスホークP-1)

もともとはレーサー機だったらしく、1927年に初飛行し、
その後戦闘機に改造されて1929年、よりによって大恐慌の年から採用されました(涙)。
陸軍の戦闘機としては、最後の複葉となってます。
(後で出て来るボーイングP-12も同年採用なので、この両者が最後の複葉となるが)

最大速度は時速204マイル、326km/hと、当時としてはそれなりの性能でしたが、
導入された1932年ごろはアメリカも世界恐慌の余波から抜け切れておらず、
さらに後で出て来るボーイングのP-12が本格採用となったため、
46機(涙)と少数の導入で終わってます。
ちなみに日本にも1機だけ売られた、との事ですが詳細は不明。
当時は研究用に片っ端から買い込んでましたから、ありそうな話ですが。

展示機は1963年に個人から寄贈されてレストアしたものだとの事。



G-3標的グライダー。
1930年代初頭に採用された空戦訓練用のグライダーだとか。当然、無人です。
従来の曳航式の標的では直線しか飛べないのに対し、
グライダーなら単純な周回ながらも旋回しながら飛ばせたので、
より実戦的な訓練になると考えられたものだとか。

ちなみに展示のモノが実機かレプリカかは不明ですが、どっちでもいいか、という感じではありますね(笑)。


NEXT