■進化は続くよ
この時代はエアレースが盛んになり、これがアメリカの航空技術進化の原動力になって行くのですが、
陸軍の航空部隊も機材、パイロット両面でこれに積極的に参加してました。
後に東京爆撃で有名になるドゥーリトルも陸軍のレーサーパイロットとして活躍してましたしね。
写真は陸軍のパイロット、バッテン中尉が1927年のナショナル エアレースの
Free
for all クラスで優勝した時のトロフィー。
このFree for all
、皆に自由を、とも取れますし、誰でも無料、とも取れます(笑)。
どういった意味だんだと思いますが、どうも後の無差別級(Unlimited
class)の前身らしいので、
何でもやってよし、の意味でしょうかね…。
この時代のレーサー機では空気抵抗を減らすため、胴体の外に飛び出すラジエターの設置を嫌い、
主翼や胴体の表面に対気冷却装置を埋め込んでしまったものが多くありました。
これもそんな例でカーチスR-8レーサーの主翼上面です。
右側のキンキラ部分がラジエターの冷却装置。
……あれ、ライト・パターソンでR-8?
ってこれ、カーチスが生み出した流線形レーサー機、R2C-1じゃないの?
帰国後調べてみたら、やはりそうで、陸軍がカーチスから引き取った後(実質無料だった)、
R-8と名付けて1924年のプリッツァー エアレースに出場させた機体でした。
となるとこれ、レース本番前の練習飛行で墜落、パイロットが死亡した事故の機体じゃないですか…
解説にはそんな事、何も書いてなかったけど、スゴイものを、あくまで技術資料として展示してますね。
ちなみにR2C-1は陸上レーサーですが、後に事故にあわなかった残った機体から水上機型のR2C-2が造られ、
他に誰も参加しなかった結果、アメリカが優勝しちゃった1924年のシュナイダー杯の優勝機となりました…
当時の木製機の主翼構造を復元した展示。
軽い木製でも、軽量化のための肉抜き穴が開いてるのを見て置いて下さい。
ついでに構造強化のため、主桁間に金属ワイアが張られてるのも注目。
急激に進化した国内の航空路線に対し、位置を知らせる目的で設置された航空灯火標識。
もともとは陸軍の基地周辺に1920年代から設置されたものですが、
後に郵便飛行の航路にも設置されたようです(旅客機より郵便期の方が先に発展した)。
当然、曇天時には上空からは見えないので、どの程度役に立ったのかは判りませぬ。
後に電波による誘導が始まると、すぐにこれは廃れてしまいます。
航空機の発展はアメリカの自動車社会としての発展と同時でした。
1908年に大量生産の始祖鳥、フォードT型が発売されており、アメリカでは急激に車が普通の道具になって行きます。
軍でも当然、採用が進んでおり、
写真のような救急車型のフォードT型だけでも、
第一次大戦中に4362台がヨーロッパに送り込まれたそうな。
ただし、この展示が航空部隊とどう関係があるのか、全く説明は無し(笑)。
NEXT