■レストアハンガーは観れなかった



というわけで9時1分、開場です。
画面左下に見えてるのが荷物検査のゲート。
奥が入り口で、ここから見ると右がIMAXシアター、左が博物館への入り口。

…はい、気が付いた人は気が付きましたね。
ハンガーの横に独立した入り口があって、入ってすぐがお土産屋、そして入り口の横はIMAXシアター。
これ浜松の航空自衛隊エアパークの建物と同じ構造で
あれは、どうも妙な形でここの影響を受けてる感じです。

さて、入り口横に案内所があるので、まずはそこへ直行。
本日は金曜日なんですが、私が金曜日にここに来たのは意味がありまして、
この博物館、毎週金曜日にレストア ハンガー、つまり機体を公開できる状態に
補修する工場の見学ツアーを行っているのです。

が、先にも書いたように、この工場は博物館の敷地ではなく、
ライト・パターソン基地の中にあるため、
そこに入るには結構うるさい手続きが必要で、
一カ月前からメールで申し込んでおいてのです。
ところが、その後、パスポートナンバーを知らせて、というメールが来たものの、
それに何度返事を送っても、全く返事が返ってこない。
どうなってるのか、果たして見学できるのか、
と思って朝一で受付に問い合わせに行ったのです。

が、結果は不可でした。
やはりパスポートナンバーを送ったあとに受付ナンバーの返信が来るはずだったらしく、
それが無いとどんな理由であれ入場はできません、との事。
こういった辺り、アメリカではルールは絶対で、何を言っても無駄なので、
さいですか、とあきらめる。

ちなみに受付の品の良いおばさま、I must apologize と断ってから、ダメヨ、とおっしゃる。
生れて初めてアメリカ人の口から、apologize、お詫び申し上げます、 
という言葉を聞けたので、ちょっと感動する(笑)。
飛行機が遅れようが、バスの時刻表が間違っていようが、絶対にあやまらない、
自分の非を認めない、というのが私のアメリカでの経験なので、これは驚愕でした。
もっとも無料の博物館なので、謝罪したところで、じゃあ料金返せ、
という話にはならないわけで、そこら辺りもあっての謝罪でしょうが。

ちなみに後で館内のベテラン(退役軍人)の案内の人(多分無償ボランティア)に聞いたら、
海外のサーバーからWebメールを送る場合、同じサーバーを利用してる人間が
(レンタルサーバーでは一つのIPアドレスのWebサーバーを数人から数十人が共有してる)
アメリカ空軍から目を付けられるような事をやった場合、サーバー丸ごと、
アクセス拒否の対象にされてしまうため、自動的に迷惑メールに分類され、消去されるそうな。
また、Webメールはセキュリティが悪いので、特に目を付けられやすいのだとか。
返事が一切来なかったなら、その辺りが理由だろう、との事。
なんてこったい…

まあ、残念は残念なんですが、実は結局、丸二日かかってようやく見学と撮影が終わったので、
ツアーに参加したら時間切れになっていた可能性もあり、
災い転じで福となす、と考えられなくもなくもなく…



といった事がありましたが、気を取り直して見学に入りましょう。
まずはアメリカ空軍初期の機体たち。すなわちライト兄弟時代から、第一大戦前までの時代です。

連載の最初に書いたように、デイトンの街はライト兄弟が住んで居た街であり、
ここライトフィールド(ライトパターソン基地の西側の一帯)はキティホークでの初飛行以降、
兄弟がいろんな飛行試験をやった土地でもあるのです。
よって、ライト兄弟関係の展示がいろいろあったりします。



1901年、初飛行の2年前にライト兄弟が造った実験風洞。
1930年代に造られたらしいレプリカですが、、第二次大戦後まで生きてたオーヴィル ライト本人が
制作を監修してますので、再現度は高いでしょう。

ライト兄弟のスゴイ所は、単に初飛行した、というだけでなく、風洞実験で主翼の性能を求める、
といったように、後に100年近く続く航空機開発と同じやり方で飛行機を作り出した事でした。
当時としては、かなり科学的な方法でキチンと空飛ぶ機会を生み出してるのです。
人間的にはいろいろ問題の多い(笑)人たちでしたが、それでもスゴイ連中だ、というのは事実です。

ちなみに弟の(というか四男の)オーヴィルは戦後、1948年まで生きていて、
最後はこのデイトンで息を引き取っています。
これ、私も前回の訪問で初めて知ったのですが、そこまで生きていながら、
晩年はほとんどアメリカ中から忘れられたような存在になっていました。
これが本人の意思なのか、アメリカ中が本気で忘れてただけなのか、よくわかりません。

リンドバーグの飛行、ジェット機の誕生など彼がコメントを残してもよさそうな事件は
いくらでも発生してるのに、オーヴィルがこれにコメントを残したのかすら判りません。
アメリカの生んだ偉人の一人なんですが、そこまで徹底的に嫌われてたのかなあ、という気も…



ライト兄弟は最初、このデイトンで自転車屋を経営してました。
これは1895年、ライト兄弟初飛行8年前にその店で購入された自転車。
今見てもそれほど古臭くないのは、当時の技術がスゴイのか、現在の自転車が進歩が無いのか。
チェーン周りの飾りがオシャレです。

ちなみに価格は65ドル。
ここまで古いと、ちょっと現代の貨幣価値に換算するのは無理ですが、
相当な金額なのは間違いないです。
参考までにやや時代がずれますが、1873年ごろ、コルトの拳銃ピースメーカーが17ドルでした。
2017年に同じようなコルトのリボルバー式拳銃の新品を買うと安いものでも1500ドル(約155000円)前後から。
22年の時間差がありますが、拳銃3丁分以上の価格、と考えると
当時の自転車というのは、決して安くはないというのが判るかと。

夏目漱石が1901年ごろ、これをロンドンで乗り回してたのは、
彼が上流階級の連中と付き合っていた、という事でもあるのです。
その後、すぐ引きこもりになってしまいますが(笑)。 


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