■浜松の終わりに
といった感じで、浜松旅行記は終わりです。
日帰り国内旅行と軽く考えてたんですが、書いてるうちにどんどん暴走して、
予想外の文章量と長期連載になってしまいました。
司馬遼太郎さんの「街道をゆく」シリーズでは、意外にも戦国銀座ともいえる
静岡県、愛知県、岐阜南部、三重県の一帯を全く訪れてません。
幕末の地、鹿児島、山口、土佐、会津といった辺りは全て回ってるのに、
司馬さんのもう一つの縄張りである、戦国期には全く手を付けてないのです。
最後の最後「濃尾参州記」で、初めてこの地に足を向けたのですが、
残念ながら遺作となってしまい、未完で終わっています。
(タイトルは美濃、尾張、参州(三河の別名)の訪問記の意味。良い命名だと思う)
なぜだろうと、長年思ってたのですが、今回、浜松城に行って見てよくわかりました。
書くことがありすぎて、収拾がつかなくなりますね、これは(笑)。
私程度でこれなんですから、司馬さんだったらなおさらでしょう。
この一帯は信長が生まれ、秀吉が生まれ、家康まで生まれてしまった上に、
桶狭間があり、小牧・長久手の戦いがあり、長篠の戦いがあり、
そして三方が原の戦いまであった一帯です。
さらに言うならゼロ戦が造られ、本田宗一郎が伝説を創り上げたりしていて、
日本の特異点ともいえる一帯になってます。
東京、京都、大阪より、その歴史はドラマチックであり、
日本からこの一帯が消えてたら、歴史は大きく変わっていたでしょう。
不思議な地域だと思います。
今回、これだけ旅行記が長くなってしまったのは、
浜松が興味深い街だった、という面も大きいですが、
それと同時に、私はまだまだ日本の地方をよく知らんな、と痛感したりもしました。
今後は少し、国内旅行もやって行こうか、などと考えております。
といった感じで、今回はこれまでとします。
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