■夕撃旅団、少しだけ西へ



約10年ぶり、3度目の浜松に行って来ました。

そこは家康が信長と付き合っていた間、そして秀吉相手の最終最大決戦
小牧・長久手の戦いの後までの17年間、本拠地を構えていた街で、
戦後、航空自衛隊の航空団が最初に置かれた街で、
同じく戦後に本田宗一郎が、ホンダを設立した街でもあります。

さらに言うなら、スズキ自動車もこの地で生まれて育ち、楽器のヤマハもこの街の創業で、
当然、そこから独立したバイクのヤマハ発動機もこの街から生まれてます。
(ただしヤマハ発動機は、後に本社を磐田市に移転)
後はカミオカンデ&スーパーカミオカンデで使われた光電子増倍管(良い名だと思う)の
浜松ホトニクスもこの街の会社ですね。

東京、大阪という大都市を別にすれば、これだけ多くの
名を知られた製造業が誕生した街は他にないでしょう。
不思議な街だ、というのが第一印象です。

さらに言うなら、この都市(と言っていい)は東京から220q、
名古屋からでも約90qの距離にあるため、東京、大阪、名古屋といった
大都市圏の衛星都市では無く、独立した大規模地方都市、
人口100万人未満でありながら、独立した都市圏を構築している、という不思議な存在となっています。
実際、あきらかに自動車文化圏、地方都心らしい面を持ちながら、
人の動きは郊外に移動しておらず、鉄道の浜松駅は未だに都市の中心でありました。
この点、並みの地方都市ではありません。

ここは鎌倉時代、13世紀に書かれた十六夜日記にも登場する、歴史ある宿場町、
曳馬(発音はひくま?)にあった曳馬城に、1570年、家康が移ってきて、
その城の名を浜松とした後から発展した街です。
が、この街が近代になってなぜ再びこれほどの活況をていする事になったのか、
正直よく判りません。
とりあえず東京を出た後、名古屋までの間では、横浜に次ぐ都市なってます。
(川崎より人口は少ないが、街の規模では互角か、より上だと思う)

その浜松の位置を確認するとこんな感じですね。



この地図を見た瞬間、脱線する気満々なのが見て取れる人には見て取れると思いますが、
それは連載後半でやりますので(笑)、今はとりあえず、地図だけ見といてください。

では前置きはこの位にして、本編に行って見ましょうか。


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