■そして通常展示へ
さて、北伐の企画展を見たら、お次は隣の常設展示室、中華民国の成立から中国統一までの部屋へ。
一応、台湾の主張では(笑)辛亥革命を中華民国政府の成立とみなすらしいので、
1911年ごろから1928年の北伐完了までの中国本土の戦い、という展示になります。
余談ですが、この時代の中国の動きに関しては、横山宏章さんの著作が多くあるので、
個人的には一読をお勧めします。「中国砲艦「中山艦」の生涯」とか、非常に興味深い内容ですし。
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ちなみに各展示室の入り口には日本語と英語の“まとめ解説板”があり、
これを読んでから見学すると、ある程度、内容が理解できるようになってました。
では行ってみましょうか。
まずは日中戦争勃発前(1937年)までの中国の地図。
すでに中華民国による中国統一が終わった後も、中国本土は
各国の侵略を受けていた、という地図ですが、いろいろ怪しいです、これ(笑)。
まず、とりあえず台湾は赤い色の日本領。
北東の赤い部分は満州国、その下の山東半島が赤いのは、
1915年の21か条の要求で、日本が巻き上げてしまった地域のため。
実は私、この地図を見るまで満州と山東半島はてっきり地続きだったと思ってたんですが、
満州が勝手に独立(笑)した後も、山東半島って飛び地だったのね。
とりあえずこの辺りは“大筋で”問題なし。
怪しいのは、その横の青い部分、ソ連の支配地とされる辺りから(笑)。
…モンゴルの存在を無視してないか、これ。
まあ、1924年末にモンゴル人民共和国になった後は、事実上のソ連の衛星国家だったわけですが、
それでも独立国を外国に占領されてる我が国の領土です的な地図にしてしまうのはどうでしょう…
さらに左下でインド、バングラディッシュ(英支配下のインド)に隣接するかなり広い範囲、
いわゆるチベット周辺がイギリスの実効支配地域だったとされますが、これもどうかなあ。
少なくとも法的な根拠、条約等によってこの地域がイギリスに割譲された事は無いはずですし、
チベットの連中は清からの独立を唱えた後、辛亥革命によって我らも独立した、としてたはずですが…
ついでに南の雲南、すなわちフランス領インドシナに隣接する一帯も
フランス実効支配地区になっておりますが、これも怪しいでしょう(笑)。
少なくとも、条約等によって正式にフランスに割譲された事はないですし、
私が知る限り、雲南省がフランスに実効支配された事も無いです。
…どうも怪しいなあ、この博物館も(笑)。
でもって微妙にシュールな左側の地図(笑)が軍閥地図。
中華民国成立前、清が滅んで、群雄割拠となった中国で、
各地を支配した軍閥のボスの皆さんの写真を該当地域ごとに当てはめたもの。
上の三人、張と呉、そして孫が北伐で倒される事になる軍閥三人組となります。
連中が造った連合軍が安国軍ですね。
一番下の青い部分が、中華民国政府による国民革命軍の本拠地です。
陳烔明というのは孫文と組んで辛亥革命を起こした革命家なんですが、
後に孫文との権力争いに敗れて失脚します。
が、彼がこの地域を実質支配してた事はないし、普通に考えて、
ここは孫文の写真を入れるべきだと思うんですけどね…。
右側には、この勢力図を実際に地図に落とし込んだものがありますが、
その横には各軍閥の兵力のデータがあり、張軍が50万人、孫、呉がそれぞれ25万人、
そして国民革命軍が最低の10万人となってます。
この辺りの数字は横山宏章さんの本でも
同じ数字が出てくるので、何か根拠があるんでしょう。
とりあえず、最低の人数でスタートした国民革命軍ですが、勝てば官軍、
どんどん兵が増えてゆくのが中国の革命軍ですから(笑)、
最後は張作霖軍すら圧倒し、最終的に中国統一を成し遂げるわけです。
(日本の占領地区を除く)
その先には孫文直筆の書がいくつかありました。
丸っこい字を書きますね。
ちなみにここ、軍事博物館としては珍しいくらい、書の展示がおおいです(笑)。
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