■見学開始
さて、そんなわけで台湾の国軍博物館の見学に入ります。
正直言って今まで見て来たこの手の施設の中ではかなり狭い方で、そう期待はできないし、
実際、それほど目ぼしい展示はないんですが、まあ、とりえず見て行きましょう。
入り口横の案内板には日本語の館内案内もあり、ざっとこんな感じになってます。
…なぜトイレのマークが一番目立つのだろう、と思わなくもないですが、
まずは一階の展示から順に見て行きましょうかね。
一階の左奥が企画展示室となっており、そこでやってたのがこれでした。
北伐というのは孫文の死後、1926年に国民党の私設軍である国民革命軍が行ったものです。
余談ですが、この時期は国民党も中国国内の一勢力に過ぎないので、あくまで党の私設軍隊であり、
後に中国統一後、国家の軍隊となります。
対して、中国本土の人民解放軍は、今でも共産党の軍隊、
という定義に近く、この辺りは微妙に興味深いところとなってます。
話を戻します。
当時、中国中部〜北部を支配していた軍閥たち、まあ20世紀の大名とでも言うべき
各地方の支配者たちを討ち、国民党政府による国内統一を図るために行われた
軍事作戦が、この北伐です。
その最終目的は北の最大軍閥、張作霖を討つことを狙ったものでした。
中国の歴史上、北伐、と呼ばれる戦いは何度も行われてるので、
それになぞらえた命名でしょう。
さらに言えば孫文の死後、国民党の実権を握った蒋介石が、その地位を固めるため
中国全土統一を図り、軍を率いて広州から北上した軍事作戦でもあります。
これによって北の軍閥は滅び、清朝滅亡後、分裂状態にあった中国は再び統一されます。
それが北伐開始から2年後、1928年ごろの話です。
ただしその後、頼まれもしないのに中国に日本軍が乱入、
さらに国民党軍と共産党軍との内戦となって、再び泥沼になるのですが…
ちなみに北伐開始の時点では
後に天下を取る中国共産党もまだ国民党と行動を共にしていました。
が、その途中、共産党が国際都市である上海を掌握したため、
これに危機感を覚えた蒋介石と対立してしまいます。
この結果、上海で共産党員を片っ端から逮捕、殺害する四・一二クーデーターが起こります。
これをきっかけに国民党軍と共産党は完全に分裂するわけで、
展示内容としては政治的にかなりギリギリ、というモノではあります。
中国本土から来たお客さんはちょっと要注意、という歴史上のイベントですね(笑)。
ただし両国とも、歴史教育は極めて適当、という部分が外部から見てるとありますんで、
台湾、中国本土、それぞれで、北伐をどう紹介してるのかはよく知りませんが。
展示室の入り口はこんな感じ。
これは北伐開始の直前に国民党が行った集会、誓師の会場の一部を再現したものらしいです。
なんか村祭りの装飾、あるいはベトナム戦争、という感じが無くもなく…竹だしなあ。
この四角い模様も何か意味があるのかなあ。
その入り口横に展示されてた北伐開始直前の7月9日、
広州で行われたその誓師の時の写真。
誓師というのは中国で軍隊を動かすとき、軍を集めてやる決起集会で、
総司令官を任命したり、兵に誓いを立てたりする儀式なのですが、
(近年の中国語だと政治的な党大会の事を意味したりもする)
20世紀になってもやってたんですね、これ…
この部屋の展示内容を象徴するのが、この辺り。
左端は黄埔短剣というもので、蒋介石が軍人学校の校長時代から、
生涯を通じて身に着けていた短剣なのだとか。
黄埔というのは後で見るように、国民党が自前の軍隊を持つために設立した
士官学校のあった場所で、転じて士官学校の名前です。
その右はその黄埔短剣のレプリカで、どうも軍の士官が支給されてものらしいです。
なんか安っぽい個人崇拝の臭いがしますねえ…
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