■それは台南でしたね
さて台湾旅行三日目、実質二日目(涙)は台北を出て台南に向かいます。
台湾の古都、と紹介される事が多い台南ですが、今回の目的地は
ここで展示されてる第二次大戦期の駆逐艦です(笑)。
台北からは約250㎞ほど南にある大都市であり、
日本だと東京~名古屋、大阪~広島あたりの距離感に近いでしょう。
ここは基礎知識編で述べたように
185万の人口を持つ大都市であり、隣接する台湾第二の都会、高雄をと合わせて
台湾南部の大都市圏を構成しています。
ちなみに台南を古都とするのは、台湾で最初の
本格的な入植都市が建設されたのがここだからです。
最初は17世紀初頭にオランダ人が来てここに城砦を築き、
そのあとは鄭成功が引き継ぎました。
その後、1683年に清の軍隊が台湾を占領、
以後、台湾の支配の中心をこの台南としたのでした。
ただし、この時代の台湾は明治初期の北海道と似たような未開の島で、
台南が政治の中心地と言っても、特に都市があったわけでもなく、
単に清朝の役所があっただけです。
このため、現在の台南市にも古い街並みや建築物などはほとんど残ってません。
日本の京都のようなイメージで行くと、完全に裏切られます(笑)。
台湾が現在のような発展をしたのは19世紀末に台北城(中国語の城は城塞都市の事)
にその政務の中心を移した後、それどころか日本の支配下にはいった1895年以降です。
なので台南に関しては、今では単なる地方都市、と考えるのがまあ、無難でしょう。
ついでにあの台南空の?と思った人はその通りで、
太平洋戦争開戦直後に、台湾からフィリピンまで航空攻撃をかけたのが、
この台南の基地に居た台南海軍航空隊、通称で台南空でした。
海軍の精鋭航空隊の一つで、あの坂井三郎や西沢広義が居た部隊ですね。
ちなみにゼロ戦と言えどここからフィリピンのマニラ周辺まで飛ぶのは楽ではなく、
いかに燃費を抑えて飛ぶか、という猛訓練を開戦前にやったとされます。
……いや、日米開戦の決意から開戦まで4カ月近くあったはずだよね、
台南から南に100㎞近く台湾の台地は続くよね、最南端部には平野があって
今ではそこに台湾最南端の恒春空港があるよね、
なんでそこに航空基地を造らないの?何考えてるの?
といった話は今はやめておきましょう、旅行記だしね。
でもって現在は台湾の平地部、西岸沿いを南北に台湾高鉄(TSR)が走っており、
台北~高雄間は短時間で素早く移動が可能…なはずなんですが、台南に関しては
そうでもなかった、というのは記事中で見てゆくことになると思います(笑)。
ちなみに台湾高鉄を日本では台湾新幹線と呼んだりしてますが、
現地では新幹線の「し」の字も無し、あくまで台湾独自の鉄道網、
日本の技術なんざ知るか、といった感じの扱いになっておりました。
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