あらゆる国、そして独自の文化で分割された地域には個性があります。
インターネットまで出てきた21世紀、今後さらに世界の均一化が進むと思われますが、
それでもそれぞれの土地は意外に個性が溢れてます。
おそらく言語の壁がある限り、完全な世界の均一化は果たされないでしょう。

同じアジアでも中国と韓国は微妙に違いますし、日本もかなり異なります。
アメリカなんて、同じ国内でも東海岸と西海岸ではかなり文化が異なるのです。
この差異を見る、というのは知的好奇心にとって極めて楽しい経験で、
私が海外にヒョイヒョイ出て行く理由がこれです。

そこでは日本の常識がワンパンでノックアウトされ、
思いもよらなかった価値感を発見することができる、
というか、強制的にさせられます(笑)。



本来、異文化との接触は愉快でもあり、恐怖でもあります。

20世紀後半の日本が生んだ知識人の最高峰の一人、堀田善衛さんは
1950年代末にインドに赴き、そこで強烈なショックを受け、
あの「インドで考えたこと」という著作を生みました。

19世紀後半の日本人の知性の結晶といっていい夏目漱石はロンドン留学のショックから
最後まで立ち直ることができず、以後の生涯でこれをあえて無視して生きてます。
当時の洋行帰りの連中が、その自慢話をしまくったのに対し、
公式にはロンドン生活について沈黙を守り続けたのが漱石でした。

これは自慢話が大嫌い、という本人の性格と同時に
そうするしか無かった、という部分が大きかったと思います。
当時の日本や東京が、逆立ちしたって適わない世界を受け入れ、
静かに日本人として生きて行くには、漱石は頭が良過ぎました。
他の連中が理解できなかったロンドンのもつ意味を彼は完全に理解しており、
そこから出てくる結論が絶望である、とわかってる以上、何もできなかったのでしょう。

その点、そこまで頭も良くない上に世界の差異が小さくなってる時代に生きてるため、
私の場合はそういったショックは未だに受けてません。
いいか悪いかは別にして、私に取って異文化は基本的に愉快なのです。
もっとも限度はあるわけで、いきなりアマゾン奥地の原住民や、
イスラム原理主義者の中に放り込まれたら、そんな事言ってられないでしょうけども、
幸いにして海外旅行は自分の意思で行き先を選べるようですから、当面は大丈夫でしょう。




そんな経験がどこまで続くか、本人にもわかりませんが、
機会がある限り、いろいろ見て歩きたい、とは常に思っています。
世界を理解するには、それを見て知る他に、方法はありませんから。



といった感じで、今回の旅行記はここまでです。
またどこかに出かけたらこのコーナーでお会いしましょう。


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