本殿と拝殿以外もいろいろだ



そこに展示されていた屋根のタイル。
重なって隠れる部分は上薬なしで素焼きのまま、という質実剛健さ。
やけにきれいなので、最近作ったものでしょうが、修復用ですかね。
あるいは例によってタイですから、文化財だろうがなんだろうが、
今でもいろいろ改修しちゃってるのか…

解説によると、ラーマ一世時代の建物は緑のタイルが多く、
例の大改修を行った三世の時代の建物は、中国の影響から、
黄色のタイルが多く使われたんだとか。

ただし中国の黄色は皇帝色ですから、寺院内でも
高い地位を与えられた建物の屋根だけに使われている、との事でした。
確かに後で見る本殿や、仏像が並ぶ地域の屋根は黄色いのですが、
例の涅槃仏の建物は紺色屋根でして、あれってそんなに重要視されてないんでしょうか…

とりあえず、この寺院を中国風にしちゃったのは、ラーマ三世で間違いないようです。
しかし、19世紀にもなって、なぜ今更中国なんだろう…?
欧米の侵略に対する反動?



というわけで、仏塔軍団の見学は終了、次に向かいましょう。



境内の案内板ではマッサージ関係の図書館、書庫とされていた建物。
この手の建物は複数あるんですが、書庫と呼ぶにはやけに小さい。
どうも人体のツボなどを説明した石版などを収めていた施設らしいです。

ちなみにワット ポーにはかつてタイ最初の大学が置かれていたそうで、
そこが医療などの学校もかねていたようです。
マッサージ学校も、その流れの中のひとつかもしれません。



建物の中には、そういった石版の一部が展示されてました。
ただし、ほとんどが例のラーマ三世時代、18世紀前半に造られたものらしく、
歴史的にはそれほど古いものではないみたいです。

これ、マッサージというよりは針灸のツボの解説のように見え、
そういった情報もタイに入ってたんですね。



さて、さらに奥へと向かいますよ。

境内には王の仏塔のミニチュアのような小型の仏塔が林立しています。
これも誰かの慰霊用なのか、単なる装飾なのかわかりませぬが。


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