■それとても展示
その先にあったパネル展示。
何かの発掘風景にも見えましたが、どうも墜落した機体の回収風景みたい。
その横の展示がこれ。
まずは1981年に漁師が海から引き上げたらしい中島の97式戦闘機の残骸。
なので、上の発掘写真とは別物ですね。
97式戦闘機は固定脚の旧型戦闘機だったのですが
タイ空軍は太平洋戦争開戦後、
1942年から12機前後の運用をしており、その中の1機らしいです。
一部では戦後も飛んでいた、と言われてますが、
実際はさすがに1945年で退役してるようです。
ちなみタイ空軍で使われたのは後期型の乙型だとされます。
これも97式戦闘機のエンジン。
これは以前、博物館の庭にゴロンと転がしてあった記憶がありますぜ(笑)。
どうもこういった残骸も展示の価値があるらしいぜ、と
海外の博物館で知ったようで、手のひらを返したような丁寧な展示となってます。
こちらはタイ空軍が使用していた一式戦 隼のエンジンらしいですが、
ここまでボロボロになってしまうと私には見分けがつきませぬ。
上の発掘写真に出てるのは、おそらくこれでしょう。
あと過給機のインペラとギアが中央に見えてますから、
これ裏側ですよ(笑)…
ちなみに通常、墜落機のエンジン裏側というのは墜落時の衝撃で
機体に圧縮されたパイロットの遺体(以下自粛)。
タイ空軍が1943年から27機を運用したのがこの日本の戦闘機、
キ-43、いわゆる一式戦の隼でした。
ちなみにタイ空軍での愛称も日本語でハヤブサだったとの話があります。
43年だと既に旧式機ですが、タイでは虎の子の戦闘機で、
主に首都防衛のためドンムアンに配備されていたようです。
例の連合軍のB-24やB-29を迎撃したのもこの機体ですね。
最初は24機の供与だったのですが、タイ空軍はさらに機体を要求してます。
が、1943年では日本も既にジリ貧ですから、余裕は無く、
それ以降、3機だけの供与に終わってるみたいです。
とりあえず終戦直前の1945年4月に14機の可動機があったとされ、
その内、3機前後の隼が戦後まで現役だったと見られます。
それらは少なくとも1949年ごろまでタイの空で飛んでいたようです。
1944年11月、55機のB-29がバンコクの鉄道操車場を爆撃しました。
この時はタイ空軍から7機、日本陸軍から14機の隼が迎撃に上がり、
その中でタイ空軍機のパイロット、タードサック(Therdsak) の操縦する隼が
B-29を一機撃墜した、とされています。
ただし彼の隼もB-29に撃墜されてしまうのですが…
実際、米軍側の記録でも出撃55機に対してB-29 1機の損失が
記録されてるので、これはタイ空軍の戦果である可能性が高いです。
とはいえ、さすがにB-29相手は無理があり、これが唯一の戦果でしょう。
ついでに、タイ空軍はB-29相手に後でみるカーチスホークという
旧式機まで飛ばしています…。
さらに1970年代まで稼動状態の機体が北のチェンマイ基地にあり、
今でも機体は現存してるというウワサが以前からあるのですが、
これだけ空軍博物館が拡張されながら
実機が出てこないところを見ると、ウワサはウワサに過ぎなかったのかも。
模型とはいえ、タイ空軍の隼の塗装は初めて見ました。
日本機と同じ主翼前の黄色の帯とか、日の丸を塗り潰したのか、
という主翼の塗装とか、気になる部分はいろいろありますが…
さらには墜落したらしいP-51Dムスタングの酸素ボンベの展示も。
我々が撃墜しました、という自慢かもしれません。
といった感じで、とりあえず今回はここまで。
オマケコーナーもお休みさせてくださいませ…。
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