■東南アジアの第一次世界大戦



今回は第一次世界大戦の展示室から。
ここからは一部に英語の解説もありました。

さて、誰がなんでなんのために戦ったのか、
キチンと説明できる人は人類中には存在しないだろう、
というくらいに入り組んだ戦争が第一次世界大戦です。
(ハプスブルグ家、そしてバルカン半島のスラブ民族とロシア、
さらにオスマントルコの対立が原因ではある。
が、なんでヨーロッパの東の果てのバルカン半島の問題で、
ヨーロッパの西側に居る英仏独、さらにはアメリカが戦う必要があったのかは
どうにも合理的な説明のしようがない。
ドイツが世界をナメていた、というのが発端ではあるが…)

そんな戦争ですが東南アジアのタイがこれに参戦する必要は、
さすがに全くないはずです。
ところが困った事に、なんで参戦したのか、という
その根本的な部分の説明が、この展示にはありませぬ(笑)。

仕方ないので帰国後、いろいろ調べて見たところ、
当時のヨーロッパ列強相手に不平等条約を強いられていたタイが、
その実力を認めさせ、不平等条約を改正したい、
という野心から、自ら望んで参戦したようです。

とはいえ正直、居ても居なくても変わらないレベルの戦力ですから、
受け入れる連合軍側も、
どこまで本気だったのかはよくわかりません。

それでも、とにかくタイは3つの部隊ヨーロッパに派遣してます。



とりあえず、これが第一次大戦に参戦したタイ兵の兵装だそうな。

タイの参戦目的はヨーロッパの列強相手に
対等な交渉を行なう実績を残す、だったため、
どっちが勝つか自信がもてるまで参戦に動かなかったとされます(笑)。

このためアメリカがやって来て、どうやら連合国が有利だぜ、
という事になった1917年の夏に
ようやくそちら側について参戦することに決めるのです。
実に戦争が始まってから3年後のことでした。
そんな都合のいい参戦を英仏がよく受け入れたな、と思いますが…。
この結果、タイは憎きフランスの側に立って戦う事になるわけですが、
ここら辺りも、この施設の展示解説ではあまり触れてませんね(笑)。

とりあえずヨーロッパに渡ったのは、
1.航空兵、2.輸送兵、3.衛生兵 の3部隊でした。
ただし、それぞれの兵員数はよくわかりませぬ。
(英語解説ではDivision、師団単位としてるが
当時のタイ軍の規模から考えると信じがたい)

さらに言うなら、1.と2の兵員.は実は全くの素人で(笑)、
現地に入ってから、フランス軍による訓練が始まるのです…。
この内、輸送部隊は、短期の訓練でもなんとかなったようで、
後に実戦に参加、ドイツ国内まで侵攻したとされます。
ここの解説によると、フランス軍から勲章をもらうほど活躍したそうな。
…いいのか、それ、喜んで。
アンタラの領土を奪い取った連中から喜ばれてるんやで…。

で、衛生兵も詳細は不明ながら、実戦に参加したとされます。
ところが航空部隊だけは訓練が間に合わず、
実戦に参加しないまま、1918年11月の終戦を迎えたようです。

………いや、ちょっと待って(笑)、変でしょう、それ。

タイ空軍はおそらくアジア最古、大戦前の1913年の設立のはずですよ。
1917年の段階で、1年もかかって
全く実戦に参加できないようなパイロットしか居ないんですか?

…が、そんな基本的な疑問にも、
ここの展示は全く答えてくれないのでした(笑)。

それどころか、その時訓練を受けた連中が、
タイ空軍設立の基礎を築いた、といった計算があわんでそれ、
とツッコミたくなる解説が出ておりました。
まあ、それがタイという国なのでしょう(笑)…。

ちなみに、そんなタイ軍、戦争中の犠牲者は19名だったとの事。
数で命の重さを測るわけには行きませぬが、
それでも数十万の命が消えた英、仏、独からしてみれば、
悪い冗談みたいな話でしょう。

結局、参戦によってタイは戦勝国とはなり、
列強に治外法権を放棄させるキッカケにはなったみたいですが、
それ以上の成果は引き出せませんでした。

ここの解説では、これによってタイの名を世界に知らしめた、
みたいな事まで書かれてましたが、それはどうかなあ…



そこに展示してあった11mmガトリング砲。
先にも書きましたが、機関砲が登場する前に流行った
連発銃で、実際にこれをタイがヨーロッパ戦線に持っていたかは不明。

どう考えても時代遅れの上、兵員輸送にもえらく苦労してたと言われますから、
装備は現地調達、というかフランスで借りたはず。
そもそも地上戦闘部隊は派遣してないのですし。
となると、これは例によって意味はないけど何となく、
ここに展示してあります、
といったタイ式展示なシロモノじゃないかなあ…。

ただしアメリカ製のオリジナル ガトリング砲としては
かなり状態は良く、資料性は高い展示です。


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