■最後の橋の向こう
ついに五つ目の川と五つの橋を渡ってしまいまする。
ここは奥の方になんだかオモシロそうな家並みが見えてましたが、
これの正体は不明。
つーか、右手に電柱が川沿いに立てられてる事からわかるように、
あの場所までの道はないはずなんですが…
ひょっとしてこの辺りはいまだに船が日常の交通手段なんでしょうか。
そこにあった怪しい船乗り場。
やはり移動は船がメインなのか。
ここも満潮時にはすさまじいという感じの勢いで川が逆流してました。
ほんま、この力を有効利用する方法はないもんか。
途中で見かけた祠ですが、あれま、漢字じゃないですか。
地主の下の神の字が落ちてしまってますが、
これは地主神、土地公を祭ったもので、典型的な道教の祠です。
最初は捨てられてるのか、と思ったんですが、
後ほどタイの地主神は地面に置くものらしいと知る事になります。
日本も含めた中華文明の影響下にある地域には
“土地ごとの守護神”みたいな考えがあり、
基本的にそれらは道教にルーツを持つ信仰です。
(西遊記にその手の土地神が出てきたはず)
ただし現代の道教では、なぜかこれが
蓄財(金儲け)の神様扱いされてたりしますが…
中華系の人が置いたものなのか、
地元のタイ人の皆さんも漢字が読めるのかはよくわかりません。
いずれにせよ、こういったのを見ると、やはりタイを単純に
仏教国と呼ぶのは無理があると思いますよ。
日本同様、いろんな宗教が仏教を核にして
超絶合体変形してしまってると見るべきでしょう。
そこの横にあった水上家屋。
一応、道路からも板橋で入ってゆく事ができますが、
これも主な移動手段は船のように見えます。
余談ですが、19世紀前半にサイアム(シャム)王国に仕えたと
自称するイギリス人、アーサー・ニール(ARTHUR
NEALE)は
(ただし怪しい。実際の滞在は数週間だったと思われる)
バンコクの家のほとんどが水上家屋だったと書いてます。
ところが1856年に現地を訪れたアメリカの外交官ハリスは、
ニールの報告はでたらめで、実際の水上家屋は
全体の1/10程度のものだ、と反論しています。
この点については、ハリスの記述は基本的に信用できるものが多いですし、
現代のバンコク周辺を見てもハリスの報告の方が正しいと思われます。
その辺りで、先ほど要塞で見た派手な乗り合いトラックが、
サルと冷静に渡り合ったボーイスカウトを載せ走り去るのを見かける。
ああ、それで乗車を断られたのか、と納得。
でもってこの段階で歩き始めて40分を超えてしまい、
フェリー乗り場までの全行程の1/3を歩いてしまった事に…。
さすがにもういいや、とタクシーを待つ事に。
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