■ラストスパートへ
そこから例の展望台とレストランのある建物を眺める。
リゾート風建築&軍艦という組み合わせも意外に斬新かもしれぬ、と考える。
とりあえず、甲板に戻ったのですが、
先に第一階層から第二階層に下りる階段を飛ばしてしまってるので、
そちらの見学に向います。
相変わらずのキツイ角度の階段で、
本人の脚が完全にビビッてるのが見てとれるかと(笑)。
下部の第二階層に下りると、ちょっと広い部屋に出ました。
おそらく水兵用の食堂でしょう。
ただし、戦後は練習艦だった、と考えると、
学生用の講堂などの可能性もあり。
英米の軍艦だと水兵用食堂にはハンモックのフックがあり、
そこが寝室を兼ねてる事が多いのですが、
ざっと見た限りではそういったものは見当たりませんでした。
今回の見学コースからは外れた場所に
水兵(学生)の寝室、生活区画があるんでしょうかね。
ちなみに左右にはロッカーがあり、おそらく水兵(学生)の私物は
このロッカーに入るだけの分だったと思われます。
タイ海軍によると、戦前は173人が乗艦、そのうち士官が13人、
先任下士官が9人、さらに下士官85人に水兵が66人乗っていた、とされます。
いや、ちょっと待て、それって上司である下士官の方が
水兵より多いんですけど(笑)…
まあとりあえず、13人の士官、9人の先任下士官を別にした150人前後が
この場所で食事や休息を取っていた、と考えていいはず。
ちなみに戦後、純粋に練習艦になってからは、
135人前後の学生を乗せていた、とされるので、
主にその学生がこの部屋を利用していたと思われます。
その部屋にあった謎の機械。
右にモーターがあるタンクで、どうも真水の製造機に似てますが、
これまた詳細は不明です。
その奥にはまた士官室らしき部屋が。
まあ、例によってそれなりに贅沢な造りですね。
たった13人の士官の部屋(艦長含む)にしては数が多すぎるので、
9人の先任下士官もこの部屋を利用していたような気がします。
先に書いたように、タイも階級社会ですから、
こういったあたりの贅沢は当然のように行なわれていたのでしょう。
参考までに、タイ海軍の主な敵は、クーデターを別にすると(笑)フランス、
というアジアでは珍しい海軍になっています。
ちなみに大規模な戦闘は、次回に見る1893年の戦争と、
その後の1941年の戦争の2回なんですが、
結果的にはフランス艦隊と2回戦って2連敗でした…。
さらに第二次大戦中は連合軍から空襲を受けてメークロンの姉妹艦、
HTMSターチンが沈められ、さらに1951年のクーデーターに失敗、
この時は友軍であるはずの陸空軍から叩かれてますから、
どうも国内での立場もあまり良くないようです。
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