■バスは華のパリスへ



さて、バス停に到着すると、すでに2台のバスが待ってたんですが、
残念ながら両方とも朝に乗った350番系統ではなし。

次は何時だろう、と時刻表を見てみると…




…なんか350の数字入りの張り紙が。

どうも工事中の絵やら下にトンネルとか書いてあるとこからして、
どこかの道路が工事中で路線変更?と思うものの、
説明はフランス語なので、一切不明。
とりあえず、左側の適当に貼り付けた感あふれる臨時時刻表によれば、
行き先はGare de I'EST、パリ東駅になっており、終点は変わってないみたい。

今朝、私が乗ったのはパリ北駅ですが、まあ市内に出てしまえば、
こちとら地下鉄とバスの乗り放題キップを持ってるんだ、なんとかならあな。




とりあえず10分ほど待って来た350番のバス、
その行き先表示がGare de I'ESTなのを確認して乗り込む。

で、パリ中心部に近づくと夕方でそこそこ渋滞中。
その時、バスの外になんか見たようなお店が。
あ、これパキスタン系の皆さんのファーストフード屋だ(笑)。

この写真だと見づらいでしょうが、手前に突き出してる看板には、
バッチリ、ハラル ピザの文字が。
まさか、宿屋の近所のあの店が世界展開してるとも思えんので、
おそらく、パキスタン系の人たちがこういった店を出す場合、
何か共通ルールみたいなものがあるんでしょうかね。

しかしほんとに近年のパキスタン人の海外進出はすごいですね。
これで、東京、香港、ロンドン、パリで彼らの活動を確認した事に。
ここ数年で、ほとんど見なかったのは中国本土くらいですよ。



ちなみにパリはロンドン以上に人種のルツボ、という感じです。
どちらかというとアフリカ系の人が多いみたい。

当然、アルジェリアなどの旧植民地から来た人たちがメインでしょう。
特にアルジェリアは、フランス撤退後も、国内情勢は荒れていたため、
後にかなりの数の移民がフランス本国に渡っています。

余談ながら、2006年までサッカーのフランス代表として君臨したジダンの両親も
1968年にアルジェリアから来た移民でした。
フランスにとって、このジダンの来歴はある意味で地雷でして、
彼が代表選手だったころは、極めてデリーケートな問題となっています。

まあ、それ以外の不法入国の人たちも、当然、かなりの数だと思うんですが、
フランスにとってはタブーに近い、アルジェリア問題が絡んで来たりするので、
ここら辺りの移民問題は、この国の急所の一つとなってるようです。



さて、そういうわけでバスは終点のパリ東駅へ。
深い理由があって、ここまで来たのではなく、
単に途中のパリ北駅で降り損ねたからです…。

これもなかなか立派な駅でして、ここがベルサイユ宮殿です、
とか言われたら、私なんざ一発で信じてしまうでしょう。
ちなみに説明によれば、この駅の設立は1849年。
ナポレオンIII世が合法的に大統領になった直後ですね。
(この男も後からクーデーターをやるのだ。フランスって国は…)

…日本じゃ全開バリバリで江戸時代でございます。ペリーさえまだ来てません。
パリってスゴイザンス。

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