■なにしろ世界はアルバート
全景。
この建築物は1872年に建物が造られ、
1875年になって、キンキラキンのご本尊が安置されたそうな。
中央に座ってるキンキラキンのおっさんがアルバート公。
ちなみに良く見れば右手にロンドン万博のカタログを持ってます。
これは、彼が万博の開催に力を注いだ事によるんでしょうね。
こちらの四隅にある像は、各種産業を象徴していて、
向かって左が農業、右が工業で、それぞれの神様から恵みを受けており、
この奥に商業と技術者の像が同じように立ってます。
…一神教のキリスト教徒が、こんなギリシャ・ローマ式の多神教の彫像を造ってええんか?
と思うも、そういやテームズ川にも専属の神様(fatherとされるがGodと書かれる事も多い)
が居たな、ロンドンには。
さて、この建造物を理解するには、まずイギリスの絶頂期、
ヴィクトリア朝時代(1837年〜1901年)を、
そして、その時の女王だったヴィクトリア女王を知る必要があります。
なぜならば、ヴィクトリア女王の旦那さんがこのアルバート(Albert)公だから。
現在のちょっとアレなエリザベスII世女王の旦那しか知らん人間には信じられない事に(笑)
彼は非常に出来た人物で、かつ実務家として有能でした。
さらに、まだ最低限政治に対する影響力を持っていた当時の王家と、
議会の間に対立が起きるたびにその調整役を担当しています。
ある意味、ヴィクトリア朝の繁栄を生み出したのは彼かもしれない、という人物なのです。
さらに信じられないことに(笑)、ヴィクトリア女王との夫婦仲は円満どころか極めてラブラブで、
1861年、まだ42歳の若さで彼が病死すると、そのショックからヴィクトリアは
数年間、公の場から消えてしまう、という事実上の職務続行不能の状態に陥ります。
その後、立ち直った彼女は、このケンジントン ガーデンズ南部に、
彼の名を冠した記念建造物を建てまくる事になるのでした。
なぜこのエリアに?というと、例の万国博覧会の開催にあたり、
その会場としてアルバートが買収、開発に当たったのが
この一帯だったからだと思われます。
この結果、ロンドンの文教エリア、といえる公園の南側は、
アルバートの名だらけとなっており、このため、アルバートオポリス(albertopolis)という
通称でこの一帯は呼ばれる事があります。
ちなみにOpoliceという英語は意味不明なんですが、ギリシャの都市、
ポリスにかけてるんじゃないかなあ、と推測。
ちなみに現在位置を再確認。
例の池の淵から橋を渡り、自動車道から左に折れた辺りが、先に見たギャラリーの場所で、
そこから再度南に向けて直進、ケンジントン ガーデンズの最南端にあるのが、このアルバートメモリアル。
というわけで、これにて公園散策を終了、ロンドンの文教エリア、サウス・ケンジントン一帯を目指します。
でもって、上の地図で、道路を挟んだ反対側にある円形の建物が、下の写真のアルバートホールです。
この円形の巨大な建物、これもアルバート関連で、ロイアル・アルバート・ホールです。
これもアルバートさん追悼の意味を持って建てられたもの。
つまり手前に見えてる道路を挟んで、ここはダブルアルバート状態なわけで。
完成はこっちが先で1871年、8000人以上が入れる大コンサート会場として完成してます。
日本じゃまだ明治4年、まだ街中にいくらでもチョンマゲが居た時代ですから、
まあ大したもんですよね、ホント。
ちなみに、正面らしき方に回ってみたんですが、何かの工事中でした。
手前にある銅像はアルバートさんのような気がしますが、よくわからず。
ここら辺から、ロンドンの文教エリア、という場所になってゆきます。
ホールの周辺には王立芸術大学(Royal
College of art)、
王立音楽大学(Royal College of
Music)など芸術関係の学校が建ち並び、
少し南側には帝国大学ロンドン(通称インペリアルカレッジ。理系大学の最高峰のひとつ)
があります。
で、その中に、今回訪れる科学博物館、自然史博物館があるわけです。
この一帯は、そもそもは万博の会場として開発が進み、
万博終了後は、こういった文教エリアに変身したわけで。
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