■戦いの飛行機の終わり
フォランド ナット(Folland Gnat)
F1。
この機体、インドが造ったんだとずっと思い込んでましたが、イギリス製だったのか(笑)。
インド空軍機として有名ですが、ほかにもフィンランドなどで使われたようです。
1955年に初飛行した機体で、そもそもはフォランド社の自社開発機でした。
小型で、低コストな近代戦闘機、として造られたのですが、イギリス空軍は不採用とします。
ここから海外に目を向け、フィンランドに13機を売り込む事に成功、
さらにインドに40機を売ることができました。
でもって、インドはこの機体が気に入ったようで、その後175機をライセンス生産し、
事実上の主力機戦闘機としてしまうのでした。
後に1965年からのインド-パキスタン紛争において活躍したそうで、
この後継機であるアジト(Ajeet)もインド空軍に採用される事に。
ちなみに、このF1は不採用としたイギリス空軍でしたが、
その運動性の良さに驚き、これを複座の練習機にしたT1を採用する事になります。
デ・ハビラントのモスキートTT35のTA639号機。
高速の木製機として、偵察機、爆撃機、夜間戦闘機とさまざまな目的で使われた傑作機ですが、
なにせ色んな用途で使われため、全部でいくつあるのかもわからん、
というくらいにサブタイプが存在する機体でもあります。
このTT35なんて番号は聞いたことないので、なんじゃこりゃ、と思ったら、
爆撃型のB35の改造機で、戦後の1952年、訓練用の標的曳航機にしたものらしいです。
本来なら、機体下面にその曳航用ウィンチがあるはずなんですが、
爆撃機当時の姿に戻してしまっているため、現状は見当たりません。
だったら、名前もB35に戻せばいいのに、と思うんですけどね…。
ちなみに横から見ると、コクピットはプロペラより後ろでしょ。
この機体、夜間爆撃機の塗装で機体下面を真っ黒にしてしまったため、
写真に撮ってもイマイチ、ディティールがわかりませんが、
実はどうもガムテープじゃないのか、という補修部分がチラホラと…。
その横にあったモリンス(molins)の6ポンド砲。
ロンドンにもあった、例のモスキートに積まれた57mm砲なんですが、
元々はこんな陸上砲なのだよ、という事で展示されていました。
…なんか妙にモスキートと6ポンド砲にこだわるな、RAF博物館。
1944年から、ハリファクスやランカスターの後部銃座に使われた、
ボールトンポールのD型銃座。
12.7mmのブローニングを2門積んでますが、1944年という時期を考えると、
やや火力不足のような気も…。
ちなみに、ガラス部分の下に黄色い小さな棒が出てるの、わかりますでしょうか。
その下に、手書きの文字で、緊急時の救助ではこの棒を引け、と書かれていたので、
あ、これを引くと、上のガラスが外れて脱出できるのか、と思ったら、
その下に、ターレットを回して救助せよ、との一文が。
結局、後ろからしか出入りが出来ないようで、
爆撃機のクルーで最も死傷率が高い場所、というのも納得が行きました…。
はい、とりあえず今回はここまで。
おまけも一回、休ませてくださいませ。
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