■八人の芸者
「なんか芸者さんがいますよ」
いるなあ。
上に書いてある文字だとサーカスのポスターのようで、
何か気球を使った出し物をやってたのかもしれない。
が、注目はこの芸者さんだ。
ちなみにこの二人の日本女性に関する説明はどこにもない。
「なんでゲイシャ?」
19世紀後半、1860年前後からフランスを中心にジャポニズム(Japonisme)、
日本文化の大流行、というか
文化的な革命に近い運動があったのは知ってる人は多いだろう。
「それに便乗したポスター?」
だと最初は思ったんだ。
「違うの?」
この写真ではよく判らないと思うが、右下に描かれてる高い建物は
どうもエッフェル塔っぽいんだよ。
で、その周囲の建物もちょっと変わっていて、
1900年に開かれたパリ万博の会場のように見える。
(この時の万博では1889年万博の時のエッフェル塔を再利用した)
この絵の横にあった解説板の撮影に失敗してるので断言はできないけどね。
「これが1900年の万博会場だとすると何か判るわけ?」
可能性が出てくる、という話なんだけどね。
明治33年(1900年)の春、東京の烏森にあった料亭「扇芳亭」の女将、岩間くにさんが、
何を思ったか、自分の店の芸者8人を引き連れてヨーロッパに出撃、
各地を回って公演を続け、2年後に帰って来る、という事があったのさ。
彼女達はパリの万博会場に乗り込んで公演を行い、
そこからデンマークへ抜けて、以後ドイツから東欧、ロシアまで渡り歩くんだ。
現地での出演交渉は、ヨーロッパに行ってから各地のプロモータ相手にやっており、
その上でベルリンでは2000人入る劇場を満員にするといった大入り満員を実現してる。
なんつーか、明治33年の料亭の女将さんてスゲエ、という感じ?
「その芸者さん達じゃないか、ということ?」
あくまで推測なんだけどね。
これが興行主による彼女達の公演のポスターとは思えないので、
こんな便乗ポスターが出てくるほど人気があったのか、
と考えると、なかなか感慨深いものがあるわけさ。
ちなみにこの8人の芸者に付いて行って通訳と現地での交渉を担当したのが
自由民権運動家として知られていた土佐出身の
奥宮健之(後に大逆事件で死刑に)だった、という話がある。
もしかすると、警察の目を避けるための海外脱出だったのかもしれない。
ついでに1900年のパリ万博で芸者、というと
こちらはアメリカ、ロンドン経由で乗り込んできた後の女優、
川上貞奴が有名だが、彼女の最初のダンナは
これも自由民権運動とオッペケペー節で有名な(笑)川上音二郎だ。
彼が貞奴を海外に連れ出した張本人なので、
海外における芸者ブームと、自由民権運動には妙なつながりがあるのさ。
ちなみに、奥宮も自由民権運動の活動家の時代、
その思想を広めるため、として講談家をやってたので、
もしかしたら、奥宮と川上で、連絡を取り合って万博に乗りこんだ可能性もある。
まあ、当時の芸者ブームと自由民権運動の不思議な関係、というとこだ。
「なんじゃそりゃ」
いや、ホントになんじゃそりゃ、なんだけど、
当時の自由民権運動なるものを理解するのには、
意外に意味深な部分を持つ話だと思ってちょうだい。
まあとにかく、当時フランスで流行ってたものを二つ合わせてみたら
芸者と気球だった、というのは21世紀の人間から見ると、
ある種、想像を超えた世界ではあるね(笑)。
ついにでにこの時の芸者さんの中の一人の談話が、
岩波文庫の「明治百話」の下巻に載っている。
奥宮らの話は全く出てこないのだが、なかなか面白いし、
そもそも、この本は岩波文庫の中でも、傑出して面白い本なので、
興味のある人は、一読をオススメしておきます。
「なんかフリーダムだな」
やりたい放題感があふれてるよね。
気球ならなんでもありかよ、と思ったら、実は左の絵はパラシュートなのだと来たもんだ。
「じゃあ右の絵は何?」
これもよくわからん(笑)。
両者に見えてるHippodrome の文字はギリシャ式円形競技場のことなんだが、
フランス語では競馬場の事を意味するようで、そこを会場にショーをやったのだろう。
「左の絵は、ホントにこれパラシュートなの?」
こっちは間違いなく、パラシュートによる降下ショーだよ。
このポスターの場合、右側にあるSpencerという名前が重要で、
これはイギリスの気球芸人、パーシヴォ スペンサー(Percival
Spencer)のポスターなんだ。
彼は“パーシヴォ スペンサーによる気球とパラシュート”という会社を運営していて、
気球から飛び降りるパラシュートのショーを得意としていたのさ。
で、その一座のメンバーとともに1890年には極東興行にやって来て、
香港や日本でもショーを行った。
このスペンサーの気球&パラシュートショーは横浜、そして上野公園で行われ、
その結果、日本でも気球ブームが起きる事になる。
「へー、当時としてはそれなりに有名な人なんだ」
あくまで当時としては、なんだけどね(笑)。
今じゃイギリス本国でも、彼のことを知ってる人間はほとんどいないと思うよ。
で、左のポスターにはちょとした余談がある。
下の写真をご覧アレ。
スペンサーのショーの評判を受けて、
気球はブームとなり、すぐに芝居になる、絵には描かれる、という人気ぶりを見せた。
写真は 歌川国貞の錦絵から、彼の描いた気球などの絵を寄せ集めて造られたもの。
東京の両国にある江戸東京博物館で展示されていたヤツだ。
「あ、ポーズが似てる」
スペンサーはヨーロッパのショーで使ったポスターやパンフを持ち込んでいて、
ほぼ確実に彼が配ったチラシからまんま写してるだろう、これ。
「なんかヒゲはともかく、帽子がえらくショボくなってるのが泣けるな…」
スペンサーの帽子はトレードマークの一つだったんだけどね(笑)…。
ここら辺の事実に気が付いてるのは、おそらく世界中でまだ
夕撃旅団だけであろう、と密かに思うので脱線しておいた。
はい、今回はここまで。
オマケの記事でこんなに苦労したのは初めてだったよ(涙)…
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