■これにておしまい

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その教師はついこの間英国から帰ったばかりの男であったが、
黒いメルトンのモーニングの尻から
麻のハンカチを出して鼻の下を拭いながら、
十九世紀どころか今でもあるでしょう。
倫敦という所は実際不思議な都ですと答えた。

--夏目漱石 彼岸過まで 第5回より
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漱石本人がモデルと思われる
“その教師”はロンドンを不思議な街と答えた。

彼が受けた質問は、スティーブンスンの小説に登場するような
不思議な世界がホントにロンドンに存在したのでしょうか、というものだ。
漱石は、それに肯定で応じている。



ロンドンは長年に渡って蓄積された情報が固まって、形を成して、
人々をその中に取り込んでしまった都市だと思う。
それこそ街角のレンガ一つですら、説明のつかない存在感を放っていることがある。
そんな不思議が、いくつもあるのがこの街だ。

博物館の中に至ってはフロアを一つ上がるたびに、
頭から押しつぶされるような情報の蓄積に圧倒された。
そんなものに恐怖を覚えたのは、この街の他に思いつかぬ。

前回の訪問ではうっすらとしか感じなかったが、
今回、博物館といった特殊な施設を中心に街を歩いて
その点を痛感することになったのだろう。

情報量によって狂気が生じる事があるならば、
きっとこの街で最初に生まれるはずに違いない。

一言にまとめろ、というなら、やはり不思議な街というほかなく、
100年も経っているのに、ロンドンはあまりに普遍なのか、
それを感じとる日本人が凡庸なのかも私には判断がつかない。




東京は巨大な街だ。
未だに、これ以上巨大でエネルギーに溢れた都市を見たことが無い。

ロンドンは深い街だった。
その奥底に何があるのかは、私には覗き込む勇気が無い。
せいぜい観光で気楽に歩き回るのが楽しかろう。

ちょっとだけ歩いたパリは猥雑な街だった。
品がない、とも言える。
そういった意味では、東京には不思議な品がある。
ロンドンにも、あった。
私が訪れた事のある街で、エネルギーと品性が両立していたのは
このロンドンと東京だけだ。

香港と大阪はエネルギッシュだが品は無い。
京都やサンフランシスコは品があってもエネルギッシュではない。
そして、そのどちらも持たない街はいくらでもある。
ロンドンは、やはり不思議な街だと思う。



未練を残してしまった。

見たいと思った場所を、いくつも残してしまった。
博物館でもいくつかの取りこぼしがある。
特に近年になってロンドン南東に完成した
The Royal Artillery Museum、王立火砲博物館は訪れておきたかったのだが、
どうしても他の博物館より優先順序を上げられず、今回は見送った。
( Artillery は正確には投射器の意味でミサイル等も含むがここでは火砲としておく)

さらに本文中でも触れたが、ダックスフォードの再訪も見送ったため、
ここの新館も見ていないし、聞けば近々、フランスに第二の航空博物館もできるという。
生きてる間に、もう一度くらい、訪れておきたいと思うだけの未練である。



実に長い連載となった。
7ヶ月に渡り、自分の自由になる時間の7割近くを、
この旅行記の作成に取られ続けた。
読む方も大変だったと思うが、書く方だって大変だったのだ。

途中、苦痛を感じることもあったが、
投げ出さなかったのは得るものがあまりに大きかったからだろう。

以前にも書いたが、旅行記の中に書かれてる事で、
現地で掌握してるのは、せいぜい7割に過ぎず、残りは帰ってきてから、
考えて、調べて、改めて気づいて知った事になる。

だから、旅行に行っただけではさほどの知恵は付かない。
それを旅行記という形にまとめ上げる工程でそれは血となり、肉となる。
この醍醐味は味わってみないとわかるまい、と思う。

そんな私の道楽にお付き合いいただいた皆さんには、
最後に改めて御礼を申し上げたい。
最後までつきあってくださった皆さん、どうもありがとう。

これにて、この旅行記は終わります。
またどこかに出かけたら、お付き合いください。

世界が美しくて愉快だと思う限り、私はどこかに出かけ続けるのだ。


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