■いろんなタイプがあります
こちらも別の土坑墓。
遠くから見ると、トイレに見えなくもなく…。
で、これが1号古墳。
これは土台だけ残して破壊されてしまったもののようです。
元々は2基の古墳だったようですが、ここも上に家が建てられてしまった(笑)時に、
その上部構造が完全に破壊されてしまったとの事。
で、この公園の一番奥にあるのがこの土マンジュウ式の古墳、5号墳墓。
現状をよく残してるものだそうですが、これはまさに百済式古墳でしょう。
ちなみに、解説によると、このそばで2基、似たような古墳があり発掘された、
との事なんですが、例によってそれらがどうなったのかは説明がなし…。
なので百済の時代から古墳があったのは間違いないでしょうが、
後からこの地を占領した高句麗が以前のものをバンバン破壊して、
自分たちのお墓を造ってしまったんじゃないか、という気が。
ここは漢江の南岸で、かつては直ぐそばを川が流れていたはず。
南岸、という事は漢江の流れは東から西で、朝鮮半島で盛んな風水からすると
墓地を造るには理想的な土地なのです。
占領後の高句麗が、それを放っておいて、さらに百済の墓も全部
残しておく、というのは正直、考えにくいと思うのですけどね。
これは基部だけ現存していた内円外方形という古墳だそうな
ちなみに、これも上部構造は破壊されて家が建ってました、との事。
現地の解説だと、日本にもこういった下が四角で上が丸い構造の古墳が見られる、
との事でしたが、ちょっとどの古墳の事を言ってるのかわかりませんでした。
さて、これでこの公園はほぼ見学終了、
地下鉄の駅を目指して離脱しましょう。
新川の駅から一駅分は東に移動してるので、
ここからまっすぐ北上して、蚕室(チャムシル)の駅を目指すのが賢いと判断、
公園の北側から駅を目指します。
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